あまみ草庵
現在進行中の茶室を「草庵」と名付けたのであるが・・・
和室の真とは、行とは、草とは何かと聞かれた時、即座に定義づけて答えられる人はほとんどいないだろうと思う。真・行・草の間には個人の主観による面が多分に作用し、また相対的な問題も関係してくる。このように判定しにくいのが真・行・草の違いである。一般には真はかたい、草はやわらかい、行はその中間などと考えられているものの、その基準ははっきりしない。たとえば、小間の茶室は草の代表格と考えられているが、その内部空間の中に、さらに真・行・草が存在することがある。茶室では軒先を下げるために掛け込み天井とする事が多い。これは屋根裏をそのまま見せた形の、斜めになった化粧屋根裏天井と、その一番高いところから一段落として平らに張った、棹縁の入った平天井とからなる。さらに点前座上部の天井を一段低くして落天井になることがある。この落天井には真菰や蒲などの、まさに草を糸で編んだものが張られている。こうして三種類の異なった形の天井が形造られる。これを真・行・草に例えるのである。この中で、平天井は床前にくることが多く天井高も高いので、三者の中では一番格が上と考えて、これを真とみなし、逆に落天井は亭主の頭上にあり、天井高も低く革で造られているので草とみなし、化粧屋根裏天井はその中間ということで、行と考えられようか。このように天井一つをとってみても真・行・草が想定できる。
室町時代から桃山時代にかけて出現した小間の茶室は、草の和室の代表格であるが、自然木を多用している点に特徴がある。また、その構成要素も書院造りのように定形がなく形も極めて自由であり、設計者のデザインカに負う所が多い。床の間一つをとってみても、形式ばらずに様々な形のものが工夫されており、璧に竹釘を打ったものだけの壁床などは、草の最たるものであろう。削木をまったく使わないというわけにはいかないが、竹や丸太などの自然木を多く使い、全体に小径木が中心となり、か細く優しい感じの建物となることが多い。
一言でいえば「何でもあり」。まさにこう言いたくなるのが草の座敷である。たとえば、床の形式を見てみるとまず袋床がある。これは床の前面に小壁を設けて床の間の一部を壁で囲い込む形式である。次に、床框がなく畳と同じ高さで床板の入った踏込み床。この床は袋床をより閉鎖的にした形で、特にがんわり床などとも称せられる。さらに、床框も床板もなく、単なる壁に釘を打って床を見立てた壁床があり、もちろん普通の框床もある。また、床柱もさまざまなものが使われる。それぞれ、しゃれ木、档錆丸太、杉磨丸太、杉六角ナグリ、杉磨丸太ハツリ目入というように、正方形や長方形のようにきっちりと製材されたものは一本もない。すべて直線とは縁がないものばかりである。天井の棹縁もまた自然木である。やはり細くて通直である必要性から竹が良く使われるが、その他にも赤松皮付小丸太や杉磨小丸太なども一般的な材である。天井自体も、高さを変えて勾配天井や舟底天井にしたり、あるいは網代天井にしたりされる。斜めに編んだ矢羽編み。天井裏に照明器具が仕込んであり、四ツ目編みの隙間から光が洩れてくる。真の代表とされる折上格天井を摸したものでも、折上部、群青色に塗ってあり、壁の紅色と相まって、なされた部屋である。格縁ともに部材を省略し、しかもとても真の格天井といいがたい。極めて特異な色使いとデザイン、左手前の部分は点前座で、天井も一段低く蒲の黒糸編みとされている。この部屋は様々な種類の木が使われており、とりわけこの落天井に顕著に表れている。落天井周囲の廻縁は同じ材を使わず、各面ごとに赤松、胡麻竹、杉磨丸太という具合にわざと違えている。
茶の湯の世界でも、よく「真・行・草」という言葉が使われます。これは、直接には、書道の筆法である「楷書(真に相当)・行書・草書」という三種の筆法からきたものです。いわば本来の形(真)から、それを少しくずした形の行書、そして最も字形をくずした草書という三段階の筆法を、茶の湯の世界に当てはめて分類したのが「真・行・草」の分類です。たとえば道具で説明しますと、中国伝来の道具類で足利将軍などの高貴な人々や神仏に茶を奉るときに使用する台子や皆具などは、まさに「真」の格の道具となります。それらの唐物道具に対して、土の趣を表現した国焼の陶器類や竹・木などの素材そのままを生かした素朴な道具類などは、「草」の格ということになります。そして、この中間形態、たとえば中国産の陶磁器をモデルとした国産の陶磁器類などは「行」の格と位置づけられるでしょう。陶磁器類に留まらず、多くの道具や茶室建築に至るまで、このような「真・行・草」の区別が存在します。決められた約束事として「真・行・草」を眺めますと堅苦しい印象を受けますが、この分類の仕方には、実は日本人の外来文化の受容のあり方が見られるのです。本来の形をくずして和風化したもの、思い切って簡素化し、本来の姿から別のものに身をやつしたような草化という変化は、唐物道具から和物道具への展開ということだけではなく、「まねる・くずす・やつす」という側面からも「真・行・草」という日本人の文化のとらえ方がうかがえて興味深いものです。
「あまみ草庵」・・・よくぞ名付けたと自画自賛。