お魚遍路(3)
■弘法大師/幼名:真魚(まお)/空海(くうかい、宝亀5年6月15日(774年7月27日) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、「弘法大師(こうぼうだいし)」の諡号(醍醐天皇、921年)でも知られる日本真言宗の開祖。
幼名が「真魚」だとは知らなかったなあ・・・とても嬉しくなってきた。
■俗名は佐伯真魚(さえき・の・まお、佐伯眞魚)。讃岐国多度郡屏風浦の豪族・佐伯直田公(さえきあたいたぎみ)の子、真魚として、現在の香川県善通寺市に生まれた。母親は阿刀氏の出身。空海が誕生したとされる6月15日は、中国密教の大成者たる不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承に繋がっていく。15歳で、桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の舅(おじ)である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章等を学び、18歳で京の大学寮に入った。大学での専攻は明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書等を学んだと伝えられる。
■真魚7歳のとき。彼はこの嶽に上り、ある大誓願を立てた。「我、仏法に入りて一切の衆生を済度せんと欲す。吾が願い成就するものならば釈迦牟尼世尊影現して証明を与え給え。成就せざるものならば一命を捨てて此の身を諸仏に供養し奉る」 …つまり、自分が衆生を救えるのであれば釈迦よ出てきて私を救いなさい、という誓願である。そして真魚は断崖絶壁から身を投げた。よもや谷底へ… とそのとき、にわかに天に釈迦如来と天女が現れ、天女が落ちていく真魚を抱きとめたという。
■室戸岬から1キロほど離れた海岸に、「御厨人窟 (みくろど) 」という海食洞穴があります。 この洞穴にこもり、虚空蔵菩薩への祈りを唱え続けていた真魚の口に、ある日突然“光り”が飛び込みました。その瞬間、世界のすべてが輝いて見えたらしいのです。洞穴から見える外の風景は、「空」と「海」だけでしたが、その二つが、今までと全く違って、光り輝いて見えました。そのときから、真魚は「空海」を名乗るようになりました。「光り」が入ったときに、空海は“悟った”のでした。求聞持法を会得し、無限の智恵を手に入れたのです。求聞持法会得に至るまで、空海は四国のけわしい山々で修行をするのですが、このとき修行したといわれるところが、「四国八十八ヶ所」のお寺になりました。
真魚が生まれた香川県善通寺です。