ぎょ(628) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

南天の魚(8)


はんかい1


阪堺線「浜寺駅前駅」です。


はんかい2


■阪堺電気軌道について

上町線(うえまちせん)

●1887年(明治30)5月 大阪馬車鉄道設立。軌道に乗った客車を馬が引っ張る、当時の新しい交通機関として脚光を浴びていた。
●1890年(明治33)9月 天王寺西門前から東天下茶屋間を開通した後、11月には上住吉、35年12月には下住吉までと順次路線を延長する。
●その後、馬車鉄道から電化工事に着手。
●1909年(明治42)12月 南海鉄道(現南海電気鉄道)に合併。上町線と呼ばれるようになる。
●1910年(明治43)10月 電化工事を引き継いだ南海鉄道が、電化完成、天王寺西門前~住吉神社前間の運行を始めた。
●1913年(大正2)7月住吉神社前~住吉公園間の延長。南海本線との連絡が可能になる。
●1921年(大正10)12月 天王寺西門前~天王寺駅前間を大阪市へ譲渡、起点が現在の天王寺駅前に移転され、ほぼ今の姿に近い状態になった。


はんかい3


阪堺線(はんかいせん)
●1910年(明治43)3月 旧阪堺電気軌道が設立。阪堺線の第一歩で、大阪市~浜寺村間および堺市宿院~大浜間の2路線に電気鉄道を建設する目的で設立された。
●1911年(明治44)12月 恵美須町~大小路間、
●1912年(大正1)3月 大小路~少林寺橋(現・御陵前)間、そして同年4月に少林寺橋~浜寺(現・浜寺駅前)間が開通、阪堺線の路線が完成。は、競合する南海鉄道とはげしい旅客誘致競争をおこなった。
●1915年(大正4)6月 旧阪堺電気軌道と南海鉄道は合併、南海鉄道の阪堺線となった。

そして、
●1944年(昭和19)6月 南海鉄道は戦時中の企業統合政策により、関西急行鉄道と合併、社名を近畿日本鉄道と改称、上町線・阪堺線は同社の天王寺営業局の所属になる。
●1947年(昭和22)6月 新発足した南海電気鉄道に引き継がれる。
●1980年(昭和55)12月 阪堺電気軌道として再スタートして、今に至っている。


はんかい4

以前紹介した私の生まれ育った「平野」と「浜寺」は電車つながりなのです。


しゅくいん1

そして「阪堺線」の途中にある「宿院駅」こそ、「すくらんぶる展」を開催しているギャラリー「いろはに」のあるところなのです。


しゅくいん2