南天の魚(7)
■「堺港」
室町時代から安土桃山時代にかけて天然の良港であった堺港は、海外貿易港としても発展しました。後に大和川の付け替えにより衰退しましたが、江戸の商人と堺の人々により築港・修理された港が現在の堺旧港の原型です。現在では龍女神像が見下ろす新たな親水ゾーンとして、親しまれています。明治10年(1877年)、市民の基金と当時の堺県の補助で築造された旧堺燈台(国史跡)は、全国的にも数少ない木造洋式燈台です。
■「浜寺」
古来から白砂青松の景勝地として知られた浜寺。公園の開設と南海鉄道の開通とともに、行楽地・別荘地として発達しました。浜寺公園駅駅舎(登録有形文化財)は大阪市中央公会堂や東京駅を手がけた建築家・辰野金吾の設計で、モダニズムの精神の象徴として、現在も堺の誇る建築物の一つです。
■「堺大魚夜市」
鎌倉時代に航海の安全を祈願して堺の漁師が住吉大社に魚を奉納した後、住吉大社の神輿を堺にお迎えして「市」を開いたのが「堺大魚夜市」の始まりといわれている。昭和49年から中断されたが、昭和57年に復活した。平成15年から浜寺公園に場所を移してさらに盛大になった。
■「浜寺公園」 明治6年に太政官布告により我が国、初の公園として指定された大阪でも最も古い公園の一つです。現在は、大阪府営の公園として充実した設備を備え「名松100選」に選ばれた約5,500本の松が茂るユニークな公園として知られ、「行楽」に「スポーツ」に、「アウトドアー・レジャー」にと、年間100万人の人達が訪れる面積484,200平方メートル(東京ドームの約10倍以上)の、広大な緑の大公園です。
明治から昭和にかけては、海浜リゾート地。海水浴場としては環境・設備が良く「東洋一の海水浴場」と謳われ「関東の湘南 関西の浜寺」と並び称されて、多くの避暑客・海水浴客を集め、関西の高級住宅地としては「須磨、芦屋、帝塚山」と並び、発展してきた、堺市「浜寺」。対岸が埋め立てられ臨海工業地となって海を失い、昔日の活気こそは衰退したが、今なお落ち着いた風情と、たゝずまいを残す大阪市の南隣り堺市南部「浜寺」です。
浜寺公園の「大ダコ」滑り台です。






