ぎょ(585) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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鯉のぼり(3)


くによ1


■国吉康雄「日本の張子の虎とがらくたJapanese Toy Tiger and Odd Objects」1932油彩85.3× 125.7 cm


くによ2


■国吉康雄「鯉のぼりFish Kite」1950油彩76.5 × 125.7 cm


くによ3


■国吉康雄(1889-1953)は、1889年9月1日岡山市中出石町(現 出石町1丁目)に生まれました。1906年岡山県立工業学校(染繊科)を退学し、カナダのヴァンクーヴァー経由でアメリカ合衆国に入国、17才の時にアメリカ西海岸に移民しました。ロサンゼルス周辺で過ごした最初の4年間は、労働に明け暮れる毎日でしたが、次第に画家になりたいと考えるようになり、1910年、ニューヨークを目指し東海岸へと旅立ちました。 国吉のニューヨークへの移住は、日本人移民社会からアメリカ人社会への移住を意味し、国吉のアメリカ人として画家になりたいという意志は、この行動によって明確に形成されました。1916年にアート・スチューデンツ・リーグに入学するまで、生活苦にさいなまれながらも、国吉は画家になる夢を捨てず、リーグで得た師と友人たちとの交遊と勉学が、技術的にも哲学的にも国吉を芸術家に育て上げます。多くの幸運と出会いによって、そして何より才能と努力によって、国吉は1920年代には新進画家として注目され、1930年代には不動の地位を築き、1940年代にはアメリカを代表する画家として数々の栄誉に輝きました。国吉の作品は、全米の主要美術館に収蔵されています。国吉は、母校リーグを中心に後進の指導にあたるかたわら、美術家組合の初代会長として、アーティストの地位の向上のためにも尽力しました。困難な時代をアメリカ人画家になる事を夢見て懸命に生き抜き、見事にその夢を実現しました。


くによ4