知魚楽(1)
■古代中国の道家、荘子(紀元前四世紀頃、本名を荘周)は、名家(道家とともに六家の一つ)で魏の宰相でもあった恵子(けいし。本名を恵施)と友達で、また論敵でもありました。「荘子」の秋水篇にある「魚の楽しみ」に荘子と恵子との対話がのっています。
ある時、荘子と恵子が川のほとりを散歩していました。
恵子はものしりで議論の好きな人でした。
荘子:魚が水面に出てゆうゆうと泳いでいる。あれが魚の楽しみだ。
恵子:君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずがないじゃないか。
荘子:君は僕じゃない。僕に魚の楽しみがわからないということがどうしてわかるのか。
恵子:僕は君でない。だからもちろん君のことはわからない。君は魚ではない。だから、君には魚の楽しみがわからない。僕の論法は完全無欠だろう。
荘子:ひとつ議論の根元にたちもどってみよう。君が僕に、君にどうして魚の楽しみがわかるか、と聞いた時にはすでに君は僕に魚の楽しみがわかるかどうかを知った上で聞いたのではないか。僕は濠水のほとりで魚の楽しみがわかったのだ。
■高校の漢文の教科書にも掲載されていました。
「荘子与恵子遊於濠梁之上。荘子曰、魚出游従容。是魚楽也。恵子曰、子非魚、安知魚之楽。荘子曰、子非我、安知我不知魚之楽。恵子曰、我非子、固不知子矣。子固非魚也。子之不知魚之楽全矣。荘子曰、請循其本。子曰、女安知魚楽云者、既已知吾知之而問我。我知之濠上也」。
■湯川さんは「物理学は実は魚の楽しみを知ることだと思っています」という話をされたことがあります。湯川さんがいわれることは「物理学とは現象の背後に有る自然の本質を見抜くこと」が大切だということでしょう。また、中間子のアイデアは、トイレを立つ時に浮かんだそうです。トイレがどうというのでなく、アイデアは、平生から考え貫いていて、満ち溢れて、ふっとでるものだと思います。
■アメリカ滞在中に、湯川博士はアインシュタイン博士と出会いました。偉大なる理論物理学者のアインシュタイン博士は、日本への原爆投下をくい止めることができなかったことを、涙を流してあやまりました。この後、湯川博士はアインシュタイン博士を慕って、世界平和のための運動に力を入れるようになりました。1953年、京都大学は湯川博士を日本に呼び戻しました。その後は母校で後進の指導に専念し、多くの優秀な物理学者を育てました。湯川博士は学生たちにこう言いました。「君たち全員に優の成績をあげるけれども、勉強は自分でしなさいよ」。1981年9月8日、湯川博士は世界中に惜しまれながら静かにこの世を去りました。
■この対話について、湯川秀樹さんは「著作集/東洋の思想」の中で「知魚楽」と題をつけています。さらに湯川さんは、色紙に何か書いて欲しいと頼まれるとしばしば「知魚楽」と書きました。