ぎょ(468) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ぎょ貝類(16)


しんじゅ7


■真珠湾攻撃
「新高山登れ」日米開戦を意味する暗号電報が12月2日、既に択捉(エトロフ)島単冠(ヒトカップ)湾を出港していた真珠湾攻撃部隊に向け、山本五十六連合艦隊司令長官より発せられた。昭和16年12月8日、午前6時(日本時間1時30分)予定地点ハワイの真北 230浬に到達した奇襲部隊の空母より第一次攻撃隊の 138機が真珠湾に向け、大きく動揺する飛行甲板から全機、見事に発艦し ていった。猛訓練で鍛え上げた攻撃隊は予想違わず、トラトラトラ「ワレ奇襲ニ成功セリ」の電信と大戦果を報じてきた。


とらとら1


日本国内では、この真珠湾攻撃成功の報道に続き、翌年3月6日の大本営発表「特殊潜航艇をもって編成せるわが特別攻撃隊は・・・」との放送は緒戦の大戦果に喜んでいた国民に、壮烈悲愴な深い感動を与えた。しかし特殊潜航艇、又特別攻撃隊とは、どのようなもの であるのか、一般国民は無論のこと、軍部の人でさえ一部を除き全く知らなかった。真珠湾攻撃の話は、多数の書物の発刊や映画(最近ではパールハーバー)等で多くの人の記憶を新たにした事と思うが、開戦当初「海ゆかば」の曲と同時に発表され国民に感銘を与えた「特殊潜航艇」の攻撃に付いては、戦後50幾年を過ぎ人々の記憶から消え去ろうとしている。


とらとら2


しかし、この特別攻撃隊(当時は生還を期し乗員の収容には十分な配慮がなされていた)が、海軍戦力の充実していた日米開戦勃発の第一日にして早くも、戦争末期に戦われたレイテ湾、沖縄突入の決死作戦、神風、回天特別攻撃隊等、犠牲的精神を以て戦う一連の兵術思想のもとに出撃していた事を極めて重大な事実として、記憶にとどめておきたいものである。


とらとら3


■「真珠の首飾り」作・演出:ジェームス三木

1946年2月4日、東京日比谷のGHQ(連合軍総指令部)の一室に民政局員たちが秘密裏に集められた。招集をかけたのは局長のホイットニ-将軍。日本政府の憲法改正案をスクープ記事で知った連合軍最高司令官マッカーサー元帥は、その保守的な内容ではポツダム宣言の精神が生かされないと失望し、逆にGHQで草案を作成すべし、と民政局に命じたのであった。 ホイットニ-は草案作成のための“3つの原則”を記したマッカーサー・ノートを示し、「締切期限は一週間!」と告げる。 25名の民政局員たちは、22才のベアテ・シロタを含め、20代から50代まで、いずれも弁護士、学者、"日本通"など多士済々のメンバ-たち。作戦命令を受け止めたケーディス大佐(民政局次長)-は、秘密厳守の命令の下、ただちに立法、人権、天皇などの7つの委員会にメンバーを配属する・・・。

みき


●ジェームス三木さんの話より

第二次大戦中に戦死したグレン・ミラーの音楽は、戦後になって世界中を席捲した。この芝居の主題曲〔真珠の首飾り〕をはじめ〔イン・ザ・ムード〕〔茶色の小瓶〕 〔ムーンライト・セレナーデ〕〔アメリカン・パトロール〕などなど。私は新憲法の日本政府案、民間の憲法研究会案、GHQ案など、百家争鳴の時代背景として、グレン・ミラーの音楽がもっともふさわしいと考えた。そのグレン・ミラーが妻の誕生日にプレゼントしたのが〔真珠の首飾り〕である。占領軍司令官マッカーサー元帥にも、戦後の日本に新憲法をプレゼントするという意識があったのではないか。たとえそれが、いわゆる押しつけであったとしても。真珠の美しい光沢は、アコヤ貝の中で苦悶しつつ絞り出した液が、だんだん重なって生まれるものだ。GHO民政局にしても、他国の憲法をたった一週間でひねりだすには、相当な苦悶があっただろう。その部分の再現を試みたのがこの芝居である。私は日本国憲法を、103粒の真珠になぞらえたつもりだ。この芝居を書こうと思ったのは、NHKで『憲法はまだか』というドラマを書いた直後である。松本蒸冶を中心とする日本政府案の成り立ちを描いたからには、それを拒否したGHQ案の制作過程も、しっかり押さえておきたかったのだ。出演者がすべてアメリカ人と知って、青年劇場の諸君はさぞ驚いただろう。脚の短さや髪の色もさることながら、シェークスピアとはまた違った立居振舞を、どうこなすかは生易しいことではない。特に軍服の調達には衣裳係が難儀をきわめた。役者と相談しながら方言を取り入れたのは、アメリカという多民族国家を表すためである。難解なディスカッションドラマを、どう口あたりよく見て貰えるか、いろいろ工夫はしてみたが、さてどんな結果になるか・・・。


とらとら4