ぎょ(377) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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うるうぉい(8)


にるばな1


音楽は私たちを浮遊させてくれる。羊水に浮かぶベイビーのように・・・


にるばな2


Nirvana「NEVERMIND」

90年代ロックにおいて、最も重要な意味をもつ作品である。パンク/ハードコアを基調にしたハードエッジなサウンドとポップなメロディが奇妙に同居した本作は、アメリカン・オルタナティヴ、グランジを一気にメジャー・シーンへと引っ張りあげた。と同時に、先行きの見えない時代の閉鎖感をカンペキに表現し尽くした。特に大ヒット曲<1>の「Hello, Hello, Hello, how low?」(ハロー、ハロー、どのくらいひどい?)というフレーズは、殺伐とした空気を見事に表している。全世界で1000万枚以上のセールスを記録した。


にるばな3

●メンバー:カート・コバーン(vo,g)デイヴ・グロウル(ds)クリス・ノヴォゼリック(b)
ロック・シーンにおいては未だ周辺地域でしかなかった米西海岸ワシントン州シアトルのインディ・レーベル、サブ・ポップから89年にシングル「ラヴ・バズ」でデビュー(当時のドラマーはチャド・チャニング)。同年、デビュー・アルバム『ブリーチ』発表。91年にメジャー・レーベル<デヴィッド・ゲフィン・カンパニー(DGC)>に移籍し、セカンド・アルバム『ネヴァーマインド』を発表。当時、ハード・ロックを含む全てのサウンドが、MTVやラジオでのオン・エアに適する中高音域を強調した軽いサウンド・プロダクションになっていたが、ニルヴァーナとプロデューサーのブッチ・ヴィグはこの『ネヴァーマインド』でそんなセオリーを全く無視。パンキッシュなアティテュードを込めた歌詞と、確信犯的に中低音域を突っ込んだヘヴィ・サウンドを展開。しかもファースト・シングルの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は「hello, hello, hello, how low?(ハロー、気分は最低かい?)」というネガティヴなメッセージを放出する、業界の常識からすれば、<最低の>ファースト・シングルだった。したがってこのアルバムは、アメリカ国内での初回出荷数がわずか25,000枚足らず、しかもプロモーションのためのツアーもなし、という悲惨なスタートを切ることになった。しかし関係者の予想は見事に裏切られる。「スメルズ~」はラジオとMTVで爆発的なオン・エアを稼ぎ、全米のロック・キッズがあのフレーズに合せてヘッド・バンギングした。それに呼応してアルバムが全米で300万枚以上のセールス、アルバム・チャートの1位を獲得。この大ヒットは、アメリカのミュージック・シーンがそれまでずっと目をそむけてきた<重さ>、<暗さ>という要素を表舞台に引きずり出し、それまでのロックの文体を完全に破壊してしまった。このアルバムを境にして、瞬く間に彼らのフォロワーが続々とシーンに登場し、世界中に<グランジ>の毒が撒き散らされることになった。あっという間にカリスマ的な人気を獲得したニルヴァーナだったが、続く92年2月にカートがホールのリーダー、コートニー・ラヴと結婚したのをきっかけに、バンドは一時期活動麻痺状態に。困り果てたDGCはその年末にサブ・ポップ時代のシングル曲による編集盤『インセスティサイド』を発表し、急場をしのいだ。翌93年には、ようやくカートの私生活のごたごたが落ち着き、バンドの活動が正常化。待望のサード・アルバム『イン・ユーテロ』を発表し、米英で初登場1位を記録。ニルヴァーナの人気は浮動のものとなっていた。しかしこの頃から、インディペンデントでパンキッシュでありたいという欲求と、自分のコントロールを離れてどんどん巨大化していくバンドと自分のイメージの間に生じたギャップに悩み始めたカートはドラッグに深くおぼれ始め、奇行が目立ち始める。そして1994年3月頭には、興奮剤の過剰摂取による入院騒ぎを起こし(遺書が残されていた、という説がある)、4月には「精神的な障害により自殺してしまう可能性が高まっている」という診断を下され、入院を強いられることになった。ところが関係者の心配をよそにカートはそこを逃げ出し、失踪。4月4日に捜索願が出されたが、自宅のバスルームに閉じこもり、頭をライフルで打ちぬいたカートの無残な遺体が4月8日に発見された。この衝撃の死によって、バンドは解散を余儀なくされた。その後デイヴ・グロウルは自身のバンド<フー・ファイターズ>を結成し、現在も活躍中。またクリス・ノヴォゼリックも<スウィート75>として活動を再開した。コートニー・ラヴは女優として映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』ほかに出演し、大好評を得る一方、ホールとして活動したが、現在はソロ活動中。


いえす1


■YES「Tales From Topographic Oceans(海洋地形学の物語)」

『こわれもの』、『危機』という名スタジオ作に続き、大作ライヴ盤を経て、1973年に発表されたイエスの通算7作目、スタジオ作としては6作目となるアルバム。前作『危機』からさらに前進を続けるイエスが作り上げた二枚組ロック・シンフォニー。4つのパートに分かれて展開され、よく練り上げられた演奏が堪能できる。アルバム発想のもともとのきっかけは、1973年来日時にジョン・アンダーソンが読んだ本だった、というエピソードがある。


いえす2


2枚組で4曲という話題作。アンダーソンはこの作品で未知の世界へ行くと言っていたけれど、ウェイクマンと意見が合わずけんか別れしてしまいました。イエスらしいプログレの傑作です。


いえす3


アンダーソンは今でも、イエスの代表作として「危機」と「海洋地形学の物語」を挙げています。何回も聴かないとその良さは解りにくいかもしれないけど、とびきり優しく美しいメロディと、不思議な海底の世界を漂うようなアレンジが素敵です。


いえす4