うるうぉい(5)
私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのでしょう。
母体の中で発生した「生命」、誕生の瞬間までの「記憶」は「知」の領域に形をとどめていない。
「生命の神秘」は「記録」として私たちの肉体に刻み込まれている。
「私たちはどこから来たのか?」・・・
その問いは「誕生」の瞬間に、新たな問いに転換されている。
「私たちはどこへ行こうとしているのか?」と。
私のこのような自問自答は、白土三平さんの「カムイ伝」との出会いと重なっている。
「カムイ」と名付けられた主人公をベースにしながら、もう一人の主人公「正助」とが絡み合いながら物語は展開していく。
■・・・しかし正助が言い得たことは、百姓こそが田畑を守る者であるということと、こんな状況ではいつまでたっても一揆が絶えないということと、「民なくして国もなく、我らなくして日本国はありえない!」と絶叫することだけだったのである。これが『カムイ伝』全15巻の、白土三平のいう第一部のすべての結末なのである。
記憶は不確かであるが・・・最後のページに「我々は遠くから来て、遠くへ行こうとしている。」というようなセリフが書かれていた。ズッシリと心に響いた。
■『カムイ伝』では、様々な社会に生きる「子ども」の姿も丹念に描かれている。子どもの物語は単なる背景やエピソード(挿話)ではない。むしろ、その成長過程こそが、ストーリーの重要な位置を占めている。非人のカムイ、下人の正助、武士の草加竜之進。端的に表現すれば、彼らはいわゆる各身分社会の象徴であり、だがその身分から脱しようとする、「珍しいケース」でもあった。しかしこの作品において、そのようなキャラクターが主人公かと言えば、必ずしもそうではない。
3月、まもなく卒業式である。教え子たちが差し出したサイン帖に「我々は遠くから来て、遠くへ行こうとしている。」というメッセージを記したことを思い出す。
そのような教え子から、つい先ほど誕生日のプレゼントが届いた。卒業して20年が経とうとしているのに、「3月3日」は教え子たちにとっても大切な日になっていることを嬉しく思う。そして、私の抱き続けている問いの答えは「愛」の中にあることを実感する。