ぎょ(361) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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魚石(4)


▼魚楽石
魚楽石


■柳田国男の「日本の昔話」に収録されている長崎の魚石の場合は、最大で三千両まで用意して唐人が数年後に買いに来るのですが、逆に言えば、三千両以上で転売できる見込みがある(それどころか、商売をやめても一族が遊んで暮らせるほどの利益が出る)から用意したとも言える訳です。


▼石斑魚(3)
石斑魚3


■日本の昔話バージョンでは、長崎の伊勢屋の土蔵の石垣に使っていた石が魚石で、これを懇意にしていた唐人が百両で買おうと言いだしたので欲が出て、唐人の方も三百両まで出すとなまじ言ったがために、初回の商談は流れています。考えてみれば、三千両というのは最初の百両の30倍なわけで、伊勢屋の主人が欲を出さなければ、懇意にしていた相手から1/30の値段で買い取ろうとしたということは、ほとんどペテンや騙しに近い商談ではないかなと。もっとも、日本の昔話の結びにもあるように、日本の商人は商人で、物の価値がわかっていないのに欲をかいたから、調べている内に石を割ってしまって元も子もなくしているわけで、どっちもどっちではあります。


▼イシフエダイ
イシフエ



■この石の中の魚というのは、気長に石を磨いて水から一分というあたりで磨き上げるのを止めると、今で言えば、透明な金魚鉢の中を赤い二匹の魚が泳ぐ様が見えるようになるのだそうです。そうした魚が泳ぐ様子を朝夕に眺めていると自然と心が養われて寿命が延びる効能があるとされているのですが、このあたりはいわゆる”癒しグッズ”の元祖のようなものなのかもしれません。


▼石斑魚(4)
石斑魚4



■ところで、はたして密閉された石の中で魚が生きていられるのか?という事に関しては、ガラスで造ったボールの中に、水と水草と魚と小エビくらいを入れて擬似的な循環型生態系を造ったりしていますから、光さえ透過していればなんとかなるのかもしれません。つまり、水草が光を受けて光合成して二酸化炭素から酸素を還元するのと同時に小エビなどの餌にもなり、その酸素を消費して生活しうる魚と小エビ(あるいはプランクトン)といった生命体が絶妙の食物連鎖のバランスで生存していれば、そこが小さな密閉空間であっても生命が循環し続ける事ができるという事。もちろん、人工的にそうした環境を造ってみてもなかなか上手くいかないのですが、人類が宇宙空間でスペースコローニーを造ってはびころうと思えば、こうした循環型生態系を居住空間で構築することは不可避のニーズとなるということもあって研究が続いているようです。もっとも、今となっては、CGの技術やプログラミング技術が進んで、コンピュータのモニターの中で熱帯魚が泳ぎ回る光景が珍しくなくなって久しいわけで、ここまで石や密閉された空間の中で泳ぐ魚が普及してしまうと、魚石に昔ほどの値段が付くとも思えません。


▼魚絵石(1)
石魚絵1



■江戸時代に書かれた「耳袋(根岸鎮衛)」という奇談集があります。この本に「玉石のこと」という石の中に魚が棲んでいる話が載っています。

「耳袋巻之三」【玉石のこと】
いつの頃の話であろうか。長崎の町家の礎石から絶えず水が浸み出ているのを見た唐人が、これをもらい受けたいと申し出た。家の主人は何か価値のある石なのだろうとこれを惜しみ、石を取り替えて手元に置きよく見ると、際限なく水が湧き出てくる。「おそらく石の中に玉があるのだろう」親しい者を集めてあれこれ相談し、寄ってたかって擦り磨いていたところ、誤って石を割ってしまった。石の中から水が流れ出し、小さな魚が姿を現したが、すぐに死んだので捨てた。後でこれを聞いた唐人は涙を流して惜しんだ。 「玉の中に潜むものがおり、玉を壊さぬよう丁寧に磨き上げれば値千金の宝となるのです。惜しい、まったく惜しいことです」「世にいう蟄竜などもこのような類のものなのだろう」と長崎へ旅した者が語った。


▼魚絵石(2)
魚絵石(2)



■長崎の魚石

むかし、唐人屋敷にほど近い篭町に、伊勢屋という、欲の深い主人が住んでいました。ある日のこと、日ごろから仲よくつきあっている唐人屋敷の阿茶さんが、「わたし、一年ほど中国かってくる」と、いってあいさつにやってきました。そして、阿茶さんは、伊勢屋さんの土蔵の石垣の中から、青く光る石をみつけました。「大人(たいじん)(主人のこと)、大人。 石垣の青石売るよろし。わたし買うある」と、たのみました。「よかたい。あげん石、よんにゅうあるけん、あぎゅうたい。ばってんが、いま動かせんけんあんたがもどったときば、あぎゅうたい」たのまれた主人、あっさりとこたえましたが、阿茶さんは、「石垣こわす金わたし出すあるよ」と、何度もしつこくたのむのです。「さては、あんげん欲しかとこみると、ごうぎい値うちもんじゃろか」と、根っから欲の深い主人、阿茶さんが 「五百両出す」というにも返事をしません。そうこうするうちに、阿茶さんは中国へ帰ってしまったのです。いっぽう、主人は、職人を呼んで石を割らせることになりました。すると、中から水がこぼれて、金魚が飛び出したのです。「こりゃしもうた。大金もうけそこなったばい」と、たいそうくやしがりました。さて、翌年。 阿茶さんがやってきました。主人が仕方なしにすべてを話しますと、阿茶さんはボロボロ涙をこぼしながら「あの石、魚石。水の見えるまでみがく、金魚泳ぐ見える。これ見ると、たくさんたくさん長生きする」と、残念がりました。