魚石(3)
■「魚石」
鏡の中に住む魚がいるという話もあるのですが、魚石というのは、金魚鉢くらいの大きさの石の中に住む魚がいるという話です。石に生命が宿るとか、石の中に生き物がいるという発想は、これは中国起源のようで、他の国の話ではあまり聞いたことがありません。西遊記で知られる孫悟空が、岩の塊に精が宿って産まれたという話はあまりに有名ですし、紅楼夢にあるように前世が山の石だったという設定もあったりします。さて、魚石ですが、この話で有名なのは長崎の魚石の話で、日本人の持つ魚石を中国人が買おうとして巻き起こる悲喜劇とでもいった内容で知られています。大同小異で、「耳嚢」や「寓意草」など幾つかのパターンがほぼ同じ内容で伝わっているのですが、なにはともあれ石の中に住む魚がいて、それが死んでしまうというあたりが共通しています。
■寓意草の場合、紅毛人(だいたい西洋人のことを意味することが多い)が、庭にある石を5両で買い取り、”3年ほどしたら取りに帰ってくるから、それまで倉に保管しておいて欲しい”と言い残して去るあたりから始まります。3年の約束だったのに、6年目になっても帰ってこないので、石を割って中を見てみようということになるのですが、割れた石の中から水と一緒に赤い魚が出てきたのですが、魚は死んでしまったようです。というのも、その翌年になって紅毛人が再び訪れてその話を聞いて大いに嘆いたと続いていることと、他の魚石の話でも、石を割ってしまうと中の魚は死んでいるからです。
■筑波山麓の昔話では、やはり庭にある石を一両で買うという旅人がいて、”山で石を見るので、帰りに寄って貰っていく”と約定するのですが、家人が”持って帰るのなら洗っておいた方がいいだろう”と親切心から思って熱湯をかけて汚れを洗い落とします。そうしたところ、くだんの旅人が再度立ち寄って、その石を見て”湯で洗ってしまうと、もうこの石には用がない”と言いだし、家人達が”なぜ洗ってはいけなかったのか?”と尋ねると、”この石は魚が中に住んでいる石だが、それを湯で洗ってしまったから中の魚は死んでいるだろう。割ってみるといい。”と答えるわけです。で、割ってみると、中から水と死んだ赤い魚が二匹出てきて話はお仕舞いとなるのですが、赤い魚に関しては金魚のような小鮒のような赤い魚という記述が多いようです。
■他にも幾つかの魚石の話があるのですが、石の中に魚がいるのが見えて、割ってみたら水と一緒に出てきてしばらく動いていたけれど、やがて死んだといったあたりが共通項ということになります。そうした魚が住む石を(割る前に)鑑別する方法がどうもあるようで、家人が気が付かずに庭の石として置いてあるものをめざとく見つけて、庭石としては破格の値段で、魚石としては端金で買いたたこうとするのも一つのパターンになっています。石のサイズに関しては、特に明確に何寸とかいったサイズを書き残している話に今のところ遭遇していないのですが、素人が人力で簡単に割っていること、商家の石垣に使っていたり、庭石だったりすることなどから、大きくても50cm×50cm×50cmくらいではないかと思われます。日本人だとさほどありがたがらないような気がするのですが、こうした魚石を買っていこうとした人は、紅毛人であったり中国人であったりするためか、かなり思い切った金額を提示しています。