ぎょ(308) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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魚句の細道(3)


■正岡子規 雅号の子規とはホトトギスの異称で、結核を病み喀血した自分自身を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えたものである。また別号として、獺祭書屋主人・竹の里人・香雲・地風升・越智処之助なども用いた。「獺祭書屋主人」の「獺」とは川獺(かわうそ)のことである。これは、『禮記』月令篇に見える「獺祭魚」なる一文を語源とする。かつて中国において、カワウソは捕らえた魚を並べてから食べる習性があり、その様はまるで人が祭祀を行い、天に供物を捧げる時のようである、と信じられていた。「カワウソですら祭祀を行う、いわんや人間をや」というわけである。そして後世、唐代の大詩人である李商隠は、尊敬する詩人の作品を短冊に書き、左右に並べ散らしながら詩想に耽ったため、短冊の並ぶ様を先の『禮記』の故事に準え、自らを「獺祭魚庵」と號した。ここから「獺祭魚」には「書物の散らかる様」という意味が転じる。「獺祭書屋主人」という號は、単に「書物が散らかった部屋の主人」という意味ではなく、李商隠の如く高名な詩人たらんとする子規の気概の現れである。病臥の枕元に資料を多く置いて獺のようだといったわけである。


いわし1


■正岡子規の俳句


夕焼や鰯の網に人だかり

網あけて鰯ちらばる濱邊かな


いわし2


あゆ


若鮎の二手になりて上りけり


魚影



水底に魚の影さす春日かな

氷解けて古藻に動く小海老かな


江戸ッ兒は江戸で生れて初鰹


秋冴えたり我れ鯉切らん水の色


橋蹈めぱ魚沈みけり春の水


興居嶋へ魚舟いそぐ吹雪哉



■正岡子規「病牀六尺」より


「魚を釣るには餌が必要である。その餌は魚によって地方によってよほど違いがあるようであるが、わが郷里伊予などにては何を用いるかと、その道の人に聞くに蚯蚓(みみず)・・・鮎を釣るにカガシラ針(蚊頭)を用い、鮠を釣るにハイガシラ(蠅頭)を用い、ウルメヲ釣るにシラベ(白き木綿糸を合わせたるもの)を用い、烏賊を釣るに木製の海老のごときを用いる・・・」


■正岡子規「仰臥漫録」より


死の前年、明治34年9月から死の直前まで、俳句、水墨画などを書き綴った記録。友人の訪問録や、3食の内容、排便の有無にまでいたっている。


朝:ぬく飯三椀 佃煮 梅干 牛乳5勺(紅茶入り) 菓子パン二つ


昼:粥三椀 鰹魚のさしみ みそ汁一椀 梨一つ 林檎一つ 葡萄一房


間食:桃のかんづめ三個 牛乳五勺(紅茶入り) 菓子パン一つ 煎餅一枚


夕食:稲荷鮓四個 湯漬半椀 せいごと昆布の汁 昼のさしみの残り 焼せいご(肴古くしてくはれず)佃煮 葡萄 林檎

■柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺