ぎょ(307) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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魚句の細道(2)


かじき1


■芭蕉旗魚(ばしょうかじき)


「梶木通し、上唇よく梶木をも通す意なり」と辞典にある。広辞苑だけは「尖った顎で船板を突き通す意からでた語」とある。カジキは、和船の船側の最下部をなす板で、「ねだな」ともいう。カジキトオシがカジキに縮称された言葉。『和漢三才図会』には、カジキはフカの仲間だとして、「岩穴にいる長いもので一丈余、春になると初めて出てきて陽に浮かぶが、日を見ると目が眩む、肉色は純白で寿司にするが珍とはいえ人に益なし」と、愛想のない紹介である。漢字は、背鰭が旗の様に見えることから「旗魚」、また、船板から「梶木」や「舵木」。背鰭はカジキ類で最も大きく長く、水面の上に広げて泳いでいる姿は壮厳で、その色彩も美しい。その背鰭が芭蕉の葉に似ているところからの命名。


かじき2


■夏目漱石の俳句

ふるい寄せて白魚崩れん許りなり

あんこうや孕み女の釣るし斬り

鮟鱇や小光が鍋にちんちろり


あんこ


魚は皆上らんとして春の川

煮て食ふかはた焼いてくふか春の魚



■夏目漱石「夢十夜」より

・・・代を払って表へ出ると、門口の左側に、小判なりの桶が五つばかり並べてあって、その中に赤い金魚や、斑入の金魚や、痩せた金魚や、肥った金魚が沢山入れてあった。そうして金魚売がその後にいた。金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、頬杖を突いて、じっとしている。騒がしい往来の活動には殆ど心を留めていない。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めていた。けれども自分が眺めている間、金魚売はちっとも動かなかった。・・・



■秋の大衆魚としてすっかり有名なサンマ。語源は、魚体が狭く長いことから狭直魚(さまな)が変化して「さんま」になったと言われています。夏目漱石の『我輩は猫である』(明治39年発表)には「三馬」と書かれており、「秋刀魚」という漢字があてられるようになったのは、大正時代になってからのようです。


さんま


■夏目漱石「吾輩は猫である」より


吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当(けんとう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。・・・この間おさんの三馬(さんま)を偸(ぬす)んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞(つかえ)が下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家(うち)の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿(やど)なしの小猫がいくら出しても出しても御台所(おだいどころ)へ上(あが)って来て困りますという。・・・

■夏目漱石のペンネームの「漱石」は、友人であった正岡子規の俳号を、貰って明治22年あたりから使い始めた。その正岡子規は、他人に俳号を付けるのも巧いが、自身もおそらく日本一であろう、100余りの俳号を持っていたことで知られている。自らの随筆「筆まかせ」の中に「走兎」「漱石」「丈鬼」「獺祭魚夫」「野暮流」「盗花」「浮世夢之助」「野球」「色身情仏」「面読斎」「猿楽坊主」「獺祭屋書屋主人」等々、愉快な俳号が書かれている。とりわけ面白い「獺祭屋書屋主人」は、何にでも興味を抱く子規は、部屋中に本屋や書きかけの原稿や反古紙が散乱させていたという。子規は「獺は魚を捕るのが巧く、すぐに食べずに巣にいろいろの魚並べて置くのを中国の詩人が「魚を祭る」と形容したことから、それをもじって自室を「獺祭屋書屋」と名づけたと、碧梧桐に語っている。