ぎょ(300) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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版魚人(はんぎょじん)④


ようぞう1


■浜口陽三(1909~1999) 和歌山県有田郡広川村に生まれる。生家は千葉県銚子で代々醤油醸造業を営んでおり、浜口自身も六歳で同地に移り住んでいる。11歳の時初めて油絵を描く。1927年東京美術学校彫刻科に入学するが、父の知人であった梅原龍三郎のすすめで、1930年渡仏する。1937年瑛九らと共に自由美術家協会創設に参加する。同年最初の銅版画「猫」を制作する。戦後1948年から本格的に銅版画制作に取り組み、1953年再び渡仏してメゾティント技法を習得する。1954年第1回現代日本美術展で「ジプシー」他が佳作賞を受賞する。1955年独自のカラー・メゾチントを開発して個性的な世界を生み出し、1956年にはパリから米国・サンフランシスコに移って活動を続けた。1957年「魚と果物」他でサンパウロ・ビエンナーレ版画部門最高賞を受賞する。


ようぞう2


やや粗密にばらつきのある初期のモノクローム画面 は、やがて複数の版へと展開し、カラー・メゾチントという新たな分野を切り拓いた。微粒子の集積するなかにさまざまなモティーフの浮かぶ、柔らかく静謐な画面が高く評価される。


ようぞう3


体調をくずし平成八年に帰国。晩年はほとんど制作していなかったため、日本にいることさえ知られていなかった。高度な技術から生まれる繊細で静謐なその作風は、他の追随を許さず、高い評価を得て世界を舞台に活躍したが、1999年東京で亡くなった。


ようぞう4