版魚人(はんぎょじん)②
■日和崎尊夫 昭和16(1941)年、高知県高知市に生まれました。高校卒業後、武蔵野美術学校で西洋画を学びます。日本美術家連盟の版画工房で畦地梅太郎の講習と、加藤清美の腐食銅版画の講習を受けたことがきっかけで版画制作を行うようになり、昭和39(1964)年高知に戻った時、木口木版画に出会います。それからは独学でその技法を習得し、2年後には日本版画協会展で新人賞を受賞して注目されます。以後、木口を刻むことに歓びを感じながら精力的に創作活動を行い、フィレンツェ国際版画ビエンナーレ展での金賞を初めとして数々の賞を受賞します。[海渕の薔薇][KALPA]など完成度の高い作品を発表。1966年日本版画協会新人賞、1967年日本版画協会賞を受賞。1977年木口木版画家の会[鑿の会]結成に参加。1991年山口源大賞を受賞しましたが、翌年食道癌のため永逝(50歳)。
■昭和43(1968)年頃、日和崎さんが強度のノイローゼにかかった時、『老子』と『法華経』を耽読し、『法華経』から『kalpa (劫)』という概念に開眼します。それは、「空想的な時間を単位とする期間。想像も計算も超越した極めて長い期間。」という概念を示し、無限感、宇宙的な奥行き、暗闇の中の光芒を表現する日和崎にぴったり符合するものでした。《KALPA X 》は、この「kalpa」の概念を掴んだ作品で、細かいタッチによる抽象化されたリズミカルな形象が反復し増殖していくのが見てとれます。
たとえその星が
どんなに微少な存在であったにしろ
無限の宇宙で燃え尽きて
その虚空を引き裂こうとする時
何ものかの共感を呼びさますだろう
深海の魚、貝類の魂
あるいは青空の風にゆれる草花の生命の中に
1975年9月10日
これは日和崎さんが書いた詩です。「画家か詩人になりたかった」といっていた日和崎は酒を飲み、詩を口ずさみながら、宇宙的叙事詩を刻んでいきました。故郷高知で生育した椿の木、その年輪が刻まれた木口の断面を手でさすり、対話しながら即興で彫り込んでいく…闇の中から光を求めるがごとく、深淵なる小宇宙を生涯彫りつづけました。
■「時の流れは早く、ビュランの彫りはかぼそい。だが、たとえこの星が微細なまばたきであれ、けっしてその光を消してはならないー。1978年3月」
長谷川潔、駒井哲郎とともに[版]でしか表現できない独自の世界を築き、数々の酒にまつわる武勇伝に彩られた天才画家は50歳で逝き、あとには500点余りの木口木版画が残されました。闇を刻む詩人の精緻な作品には本物だけが持つ品格が備わっています。
■アトリエ「白椿荘」に残されていた俳句
独シャクの サカナは 海の流れ星
雅なる きみのちぶさに 芽はふきぬ
■『日和崎尊夫レゾネ』より
「版画は黒一色の闇である。この暗闇に光を当てる。つまりビュランで刻むことだ。/これはいまだ名前すら持たぬひとつの存在に照明をあてて、このものの所在を明らかにし現実世界へ連れ出して来ることを意味する」
「ビュランの息をひそめて彫る作業は川の流れの様に涯しなく、ある時は小さな木喰い虫が樹木を喰らっている様にも似ている。針の先ほどの一点を1分間に2~300えぐり取る作業を日暮れから薄明にかけて持続させるものはなにか、この気の遠くなりそうな作業がぼくを捉えて離さない理由とは一体何であろうか。/それは、まずこの作業で自分が孤独な時間を得られるということ、そしてこの時間が与えてくれる夢想の喜びである」