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魚の文学散歩(うぉーきんぐ)[14]


さいせい1


室生犀星

1889(明治22)年 金沢に生まれる。本名:照道/別号:「魚眠洞」

1914(大正3)年 萩原朔太郎、山村暮鳥と三人で『人魚詩社』創立

1918(大正7)年 『抒情小曲集』ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや/ひとり都のゆふぐれに/ふるさとおもひ涙ぐむ

1923(大正12)年 『青き魚を釣る人』魚はかたみに青き眼をあげ/噴きあげた打たれかなしむ


さいせい2


1924(大正13)年 詩文集『高麗の花』

「じんなら魚」伊豆伊東の温泉に/じんならと云える魚棲みけり。/けむり立つ湯のなかに/己れ冷たき身を泳がし/あさ日さす水面に出でて遊びけり。

静岡県伊東市にある浄円寺の、温泉の湧く小さな池に海の魚が棲み、非常に珍しいというので、天然記念物に指定されていた。この不思議な場所は「浄の池」と呼ばれ、そこにいる海の魚は「おおうなぎ」「おきふえだい」「ゆごい」「やがたいさぎ」「しまいさぎ」「はいれん」「まくち」の七種類だった。海水魚がどうして淡水で暮らせるのか。しかもここは温泉である。水産学者、地質学者から考古学者まで、様々な人の関心を集め、その中の一人作家の室生犀星は「じんなら魚」という詩を書いた。題名になっている「じんなら」は、「やがたいさぎ」の地方名とされているけれど、どうも姿形から判断するとシマイサキ科のコトヒキらしい。当時の資料によると、この池は面積わずかに二十五坪、池底より微温湯が湧き出し、水温はほぼ摂氏26度。水量は常に一定して水は清く澄んみ、寒い日は多少湯気を立てていた、とある。普通なら、海水魚が淡水に入ると、浸透圧の関係で水膨れになり、腎臓の機能を変化させないと死んでしまう。にもかかわらず海水魚が棲んでいたのは、熱帯地方でしばしば見られるように、水温の高さに関係しているらしい。残念なことに昭和三十三年の、伊豆を襲った狩野川台風で「浄の池」は環境が激変して魚もいなくなり、天然記念物の指定も解除されて、今は病院の敷地になっている。ただし「じんなら」の詩は、伊東市内に碑文となって残っている。(産経新聞夕刊・連載「釣然草」から。)


さいせい3

1925(大正14)年 『魚眠洞随筆』

1926(大正15)年 金沢での庭作りのために帰郷していた犀星から長女朝子(2歳)に宛てた葉書


さいせい4

1929(昭和4)年 『魚眠洞発句集』


さいせい5


1943(昭和18)年 『動物詩集』

「はたはたのうた」

はたはたいふさかな、

うすべにいろのはたはた、

はたはたがとれる日は

はたはた雲といふくもがあらはれる、

はたはたやいてたべるのは

北国のこどものごちそうなり。

はたはたをみれば

母をおもふも

冬のならひなり


さいせい6