ぎょ(255) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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さて、「音楽」と「魚」の関係について書かなければ・・・ということで連載タイトルを「魚の音楽」⇒「うぉんがく」とすることにしました。


「うぉんがく」(1)


今回は「乾いた・・・」という言葉の意味にこだわっているわけです。CDタイトルを見て、真っ先に浮かんだのが・・・


こがらし1


■「誰かが風の中で(1972)」作曲:小室等/作詞:和田夏十(市川昆夫人)/唄:上條恒彦

どこかで だれかが
きっと 待っていてくれる
雲は焼け 道は乾き
陽はいつまでも 沈まない
こころは むかし死んだ
ほほえみには 会ったこともない
きのうなんか 知らない
きょうは 旅をひとり
けれども どこかで
おまえは 待っていてくれる
きっと おまえは
風の中で 待っている

・・・

・・・
泣くやつは だれだ
このうえ 何がほしい
けれども どこかで
おまえは 待っていてくれる
きっと おまえは
風の中で 待っている


こがらし2


■「木枯らし紋次郎」は1971年、笹沢佐保氏の原作で小説現代に連載されたのが始まりで、それが人気を呼んでテレビ化されました。フジテレビ系で放送、上條恒彦が歌う木枯らし紋次郎のテーマ曲「だれかが風の中で」もヒットしました。


こがらし3

「木枯らし」・・・殺伐とした、まさしく「乾いた」イメージです。しかし残念ながら、この歌の中に「乾いた・・・」という歌詞は出てきません。


こがらし4

■「出発の歌~失われた時を求めて~(1972)」作曲:小室等/作詞:及川恒平/唄:上條恒彦と六文銭

乾いた空を 見上げているのは誰だ
お前の目に 焼きついた物は化石の街
愛の形が 壊れた時に
残されたものは 出発の歌
さあ今 銀河の向こうに
飛んで行け

・・・
・・・

さあ今 宇宙に さあ今 未来に
さあ今 宇宙に さあ今 未来に
さあ今 宇宙に さあ今 未来に
飛んで行け


こがらし5

そうです。「乾いた・・・」は、この「出発の歌」の冒頭に出てくるのです。そして「化石の街」と表現され、銀河の向こうに・宇宙に・未来に・・・飛んで行け、というのが出発なわけです。


こがらし6

■小室 等(1943年11月23日生)は、フォークシンガーで、ppmフォロワーズ、六文銭のリーダー。フォーライフ・レコード初代社長。東京都葛飾区出身。聖学院中学校・高等学校、多摩美術大学彫刻科卒業。歌手こむろゆいは娘。


こがらし7

フォークソング全盛時代、直太朗さんの母・森山良子さんも大活躍していた頃。


こがらし8

■「六文銭」

出発点は、1960年、聖学院高校の学生だった小室等と小林雄二。キングトントリオに感銘を受け、1961年小室等・小林雄二・利根川佳明、でキングトントリオスタイルの、「ジ・アローズ・フォー・ジミー」結成。1962年、ピーター・ポール&マリーの「レモン・トゥリー」に感化され、1963年、小室等・小林雄二・依田由紀子で、PPMスタイルのグループ結成。御茶ノ水ホールでプライベートコンサート。その後、1964年、小室 等・小林雄二・依田由紀子・田辺勝治により完璧なPPMスタイルができあがり「PPMフォロワーズ」としてデビュー。依田由紀子・田辺勝治が脱退。1965年に吉田勝宣・山岩爽子を加え再結成するも、1966年解散。


こがらし9

1968年。石川鷹彦・入川捷を誘って六文銭を結成(小室等・小林雄二・石川鷹彦・入川捷)。グループ名は、小林雄二がこの頃傾倒していたS・モームの「月と6ペンス」に由来。1969年。高石音楽事務所主催「アングラ音楽祭」に参加。石川鷹彦脱退、小林百合子が加入するも解散。1970年TBS「ヤング720」に臨時六文銭(小室等・石川鷹彦・入川捷・木田高介・安田裕美)出演。楽団六文銭(小室等・入川捷・小室のり子・及川恒平・山口裕美・若松広正)設立。代表作として「面影橋」。第2回中津川フォークジャンボリーに六文銭(小室等・入川捷・小室のり子・及川恒平・若松広正)で参加。その後、石川鷹彦の弟子だった原茂が加わり、(小室等・入川捷・小室のり子・及川恒平・若松広正・原茂)でコンサート開催。1971年、入川捷・小室のり子・若松広正脱退。橋本良一が加わる。その後、・四角佳子が加わり、第3回中津川フォークジャンボリーに出演。合歓ポピュラーフェスティバル71で、上条恒彦と六文銭「出発の歌」(作詞:及川恒平、作曲:小室等)でグランプリ受賞。


こがらし10

残念ながら、今回はまだ「魚」が登場しませんでした。