《お詫びと訂正》の続き
どうしてアルバム・タイトルが「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」なのか?
そのヒントになりそうなインタビュー記事がありましたので紹介します。
■2003年 3月「さくら(独唱)」の大ヒットで一躍、時の人となった森山直太朗。“夕暮れの代弁者”と自ら名乗り、一人一人に歌を手わたすポストマンという立場で、老若男女に訴えかける楽曲を発表。「去年はもうホントに緊張と解放の連続で。あまりに目まぐるしくて、ちょっと記憶がとぎれがち(笑)」だそうだ。
《 夕暮れの代弁者 》 これまたどういう意味なんだろう?
■2004年1月10日(土)に4枚目のシングル「太陽/声」をリリースする。一聴して足元をすくわれる、今までの森山直太朗像とはベクトルが違う「太陽」と、これまでのカラーに通じる「声」がともにタイトル曲にすえられた当作は、どうやら2004年のビジョンに強く関係した作風らしい。「去年は郷愁感、季節感っていうことをテーマにしてたんですけど、今年は人が生まれてきた意味、生きていく意義みたいなことを歌っていきたくて。だから、夕暮れの代弁者っていうポジションで、歌を自分の歌声に乗せて届けるのが去年までの僕だとしたら、今年は“これ、直太朗…!?”って感じになってくと思うんですね。すでに認知されている僕じゃないものを出していく、というか。今回のシングルでいうと、まさに『太陽』がそういう曲だと思います」
《 郷愁感・季節感 》から《 人が生まれてきた意味・生きていく意義 》へ
という「太陽」を作ったのは4~5年前のこと。人の生命力のようなものがテーマとなっている曲だが、最近になってようやく、この曲をちゃんと表現できるようになれた気がする、と。「たぶん作品力に自分の表現力が追いついて、バランスが取れてきたんだと思うんです。前は歌ってても身体が痛い感じっていうか。大きな荷物を背負って歌ってる感じが、技術的にも精神的にもあって。だけど今はそれがないから。それもあって、今回リリースしたいと思ったんですよね」それにしても、この「太陽」のボーカルはすごい。スゴ味がある。これまでの温かくて、おだやかで、包み込むようなボーカルと思って聴いたら、間違いなくア然とするはずだ。力強くて野性的、荒々しくもあるボーカルは、歌のテーマ同様に強い生命力を感じさせられるものだった。「きれいに、きれいにというより、どれだけエッジを作ったボーカルにできるかってとこで歌ってたんで。それは『声』にも言えることなんですけど、言葉のエッジだったり歌い方の凹凸で、フッと残すんじゃなくて、グサッと残すような歌にもできるので。それを今回はすごく考えて歌いましたね」
《 大きな荷物を背負って歌っている感じが 技術的にも精神的にもあった 》
「今年はとにかく“夕暮れの代弁者”というより、“朝もやの演説家”というか“起き抜けの革命家”というか。結構、エッジの利いた曲が増えると思うので。そんなのお呼びでない、と言われるのも覚悟のうえで、やってくつもりです(笑)」
《 夕暮れの代弁者 》から《 朝もやの演説家・起き抜けの革命家 》へ
とにもかくにも、これからの彼をじっくり見ていきたい・聴いていきたいと思うのです。