ぎょ(253) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《 お詫びと訂正 》


以前、「森山直太郎」さんのCDについて紹介しましたが、「直太郎」ではなく「直太朗」です。お詫びとして、「音楽」と「魚」の関係について書いていきたいと思います。


ひととよう


これまで持っているCDをあらためて振り返ってみますと・・・「一青窈」さんのCDに「金魚すくい」という曲が入っていました。私はめったにシングルを買うことがありませんので、気がつかなかったのです。


しんぐる

シングルCDのジャケット・デザインはそのものずばりでした。


HP1


ホームページを調べますと・・・金魚がいっぱい泳いでいます。


HP2


さらに、「金魚すくい」ゲームができるようになっています。ぜひ皆さんも挑戦してみてください。


なおたろう1


さて、「森山直太朗」さんのCDなんですが、どうして「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」というアルバム・タイトルにしたのでしょうか?一般にそういう題名の曲が入っているものなんですが・・・「レスター」「今日の日はさようなら」「トニー マイ・フレンド」「いつかさらばさ」「さくら」「陽は西から昇る」という曲がならんでいるだけです。


「レスター」 傷ついてしまうことが怖くて 膝を抱えていた

「今日の日はさようなら」 浮かんでは消えてゆく退屈で ささくれだった日々を

「トニー マイ・フレンド」 涙はでないよ だって悲しくはないんだ またどこかで会えるだろう 僕はもう塾にいかなくちゃならないんだ

「いつかさらばさ」 僕にできることといえばそれを茶化してやれる程度

「さくら」 霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる

「陽は西から昇る」 音も立てず 影も見せず 何も残さず


それぞれの歌詞をもう一度ふりかえって、気になる部分を書き出してみました。もっとあるんですが、ある種「自暴自棄?」的な表現が目に付きます。思春期・青春時代を象徴するような表現なのでしょうか?そういう自分自身を振り返りつつ生まれた曲の数々なのかもしれません。とすると、そのような自分自身を「乾いた唄」と比喩し、その頃の感情や感傷等々を「魚の餌にちょうどいい」としたような気がしてなりません。


■1976年4月23日生まれ、東京都出身。祖父に日本ジャズ界の草分け的存在森山久、母にフォーク歌手森山良子を持つ(ムッシュかまやつも親戚)。幼少の頃は皆無であった音楽への関心。時を経て巣立ちの刻、小さな自分探しの末運命に導かれたかの如く、音楽家として生きる道を選択する。

■少年時代より一貫してサッカーに情熱を傾ける毎日を送るが、大学時代より本格的にギターを持ち楽曲作りを開始。その後、月に1~2回のペースでストリート・パフォーマンス及び都内ライヴハウスでのライヴ活動を展開。

■2001年3月7日に自社レーベルNNRよりミニアルバム「直太朗」、11月10日にはマキシシングル「ワスレモノ」をリリース。

■2002年10月2日「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」

“語り部”森山直太朗のメジャーデビュー・アルバムは、日常にひそむ心象風景をひとひとつ刻銘に切りとって見せながら、白濁色にかすむ不安と迷いの海にほんのりと薄明るい希望の光を照らす、そんな1枚。アルバムを聴いた後に、自分の本来のあるべき姿、無理をしない自然な自分におのずと立ち帰れるはずです。“シンガー・ソングライター”という月並みな形容詞では簡単に括りきれない多彩な表現世界と、まさに天から授かった奇跡の歌声!!“アメイジング・ヴォイス”森山直太朗、いよいよメジャー・デビューです。


なおたろう2