鯛車(4)
■「疱瘡神祭り」 疱瘡とは、天然痘の事で、幕末(安政5年、1858)になって、種痘が行われる様になり、罹病する人が激減するまで、大変恐れられていました。有効な予防治療法がなかった時代、人々は、信じれば掛からなかったり軽く済むと考えられていた「疱瘡神」を祭りました。
「疱瘡神祭り」は、疱瘡の神をもてなして、遊びながら治そうというもので、祭り方は、地方によりいろいろです。枕元にあるのが、疱瘡棚で、真ん中に、赤い紙を敷いて猩々の人形が置いてあり、両脇は赤い紙を巻いたみきのくちです。子どもが引いて遊んでいるのは、鯛車です。足元に、縁起物のおもちゃ「デンデン太鼓」と[鳩車?」があります。神棚の下は、お見舞い品です。猩々は、右手に酒を汲むための杓、左手に杯を持ち、酒甕に立っている形です。ダルマは、「起き上がり」とも言い、病気の回復を祈る縁起物です。「守山、草津地方において、子どもを天然痘から守る魔除けの人形として、家庭で祭られて来たものです。カマドのそばに2枚の赤紙を重ねて、猩々とダルマを並べ、小豆飯と酒を土器に供え、夜になると、2枚の赤紙を布団に見立て、その間に猩々を寝かせ、夜明けとともに起こす。7日間お守りとして祭った後は、我が子の身代わりに、猩々を十字路に置き、厄払いする習慣であり、これを猩々返しと言う」と栞にありました。ピンピン鯛(鯛車)やピンピン馬もありましたが、絶えました。
かわいい最中や砂糖菓子もあります。