ぎょ(180) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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鯛車(2)


金輪1


■金魚台輪(新発田市) 新潟では夏に金魚や鯉をかたどったミニチュアのぼんぼりをつくり、子供達がこれを曳き回して遊ぶ風習がある。三条の鯉灯篭、村上の鯛ぼんぼりなどがあるが、新発田では新発田祭り(8月下旬)の名物として大型の台輪が昭和初期まで市内を練り歩いた。その後、手間がかかる等の理由により一時廃絶したが、昭和44年から復活した。


金輪2


新発田祭りは、『建御名方命』『八坂刀売命』『溝口大祖神(初代新発田藩主・溝口秀勝)』をお祀りする、新発田総鎮守・『諏訪神社』のお祭りです。8月27日早朝の『奉納台輪』から始まり、8月29日夜の『帰り台輪』まで、熱い祭りは続きます。通称『喧嘩台輪』とも呼ばれ、その歴史は古く、江戸時代・享保年間に新発田藩主、溝口公の命令により、始められたと伝えられています。新発田のお祭りには欠かせない山車が、台輪です。釘などは一切使っておらず、昔ながらの方法で組み立てられます。


金輪3


台輪は2階建てになっており、一階部分には、お囃子方が、二階部分には、各町内、違った人形が乗っている。屋根の軒下には、提灯が吊されていて、独特のあおりという動作をする度に、その提灯が揺れて、祭り気分を盛り上げてくれます。車輪は、前方に1輪、後方に2輪、合計3輪で、後方の2輪を軸にして、台輪をまるでシーソーの様に動作させます。


金輪4


あおりの動作は、神様への“挨拶”“感謝”を現しているそうです。現在は上町・下町・泉町・三之町 ・四之町・両町の6つの旧町内の台輪が曳き出されています。一節にこの台輪は、新発田藩主溝口候の笛師を祖とする竹細工師矢代周平氏が、明治二十年頃創案したというが、戦後制作者も絶え、なかば忘れかけられていた矢先、当市の配慮でその制作講習会が催された。名物新発田祭りの祝賀行事の一翼をになって、高さ三米にもおよぶマンモス金魚のパレードが行われる。


金輪5


◆ 奉納台輪 ◆祭り初日の8月27日早朝、各町内を出発した6台の台輪が、諏訪神社へと納められる事を奉納台輪と言い、お祭りの始まりを告げます。

◆ 帰り台輪 ◆文字通り、台輪が各町内へ帰ること。昔は我先と先を競った為、もみ合いとなり、喧嘩台輪とも呼ばれた。その名残は色濃く残っており、御神酒を頂いた若い男衆が、力の張り合いをします。一年に一度、新発田男衆がステキに見える日?(笑)また、6台の台輪が揃っての、一斉あおりは最高に燃えます!!重量のある台輪をあおるというのは、大変な力が必要で、少しでも長くあおる事が新発田台輪の、そして、新発田男の誇りなのです。


金輪6


◆ 金魚台輪 ◆金魚の形をした灯籠で、台車が付いており、江戸時代の頃から、子供の夏の玩具として、曳いて遊んだのだそうです。現在では、各町内や子供会で金魚台輪を所有し、子供達の「ワッショイ!ワッショイ!」と言う元気な掛け声と共に、市内を引き回します。いつかは、本物の台輪を曳きたい・・・そんな夢を描きつつ、金魚台輪を曳くのです。最近では、各企業などの団体が、巨大金魚台輪を作製して、夜のお祭りパレードに参加しています。