ぎょ(179) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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鯛車(1)

お祭りでは、いろいろな「だんじり」や「おみこし」が登場しました。そこで、小さな子どもたちのための「だんじり」とも言うべき「鯛車」も紹介しておきましょう。


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■「鯛車(鹿児島県姶良郡隼人町)」 姶良郡隼人町の国分八幡宮の旧暦三月十日の祭礼に売られるもの。神社の祭神である彦火火出見命の釣り針を呑んだ赤女魚(鯛)をかたどったものといわれている。板を切り抜き、桃色や黄色、黒などの彩色を施して車をつけた素朴なもので子どもの疱瘡除けのまじないとされた。鯛車は、古事記の海幸彦、山幸彦の神話に材をとったものです。山幸彦すなわち天津日高彦火火出見尊、海幸彦すなわち火闌降尊が、弓矢と釣具とを交換し、山幸彦は釣りに出て釣針を失い、塩土翁に教えられて海神の宮に行き、そこで赤女魚すなわち鯛ののどから、失われた釣針が得られた事から、鯛を形どって玩具としたものと伝えられています。この鯛車には板をけずり彩色がほどこされ、大きさの違う車が前後につけられています。引かれると頭を下げるような動きをすることからお礼を言っている様子だと言われています。


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■「鯛車(新潟県西蒲原郡巻町)」 江戸時代から巻町に伝わる竹と和紙でできた郷土玩具です。各地に鯛車はありますが、巻の鯛車は三条市から伝わったとされています。大が巻町、小が三条市のものです。


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これらの灯玩具は、青森の「ねぶた」や秋田のキリ切り子灯篭など東北各地で見られる、睡魔を払う眠り流しと、盆の精霊迎えの習俗が混同して生まれたものとされています。作りはいたって素朴なモノで、竹で骨組みを作り、そこに和紙を貼って赤い色を塗ります。お盆になると子供たちがろうそうくを灯したこの車を引いてお墓参りに行ったそうです。その昔は花屋さんや籠屋さんが商売で作っていたのですが、完全にとだえてしまい、この10年間ぐらいは町内でも数人の趣味の方々が作る程度になっていました。しかし昭和56年、昔を懐かしみ過去の記憶をもとに巻町の長谷川さんという方が、鯛車を復活され、鯛車保存会ができました。


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それから夏祭りでは、鯛車パレードが行われましたが、8年前に長谷川さんが亡くなられてからは、そのパレードも行われなくなりました。現在、長岡造形大学の研究生をしている野口さんという若者が復活に向けて立ち上がりました。将来巻町を鯛車であふれさせ、街を真っ赤に染めようじゃないかとがんばっています。手始めに今年は、公民館での鯛車製作講習会、商店街の空き店舗での展示会をやりました。私は地区PTAの活動で、10台の鯛車をつくり、今年の巻夏祭りで山車として子供たちと引きました。これらの活動が地元の新聞やNHKなどで報道もされ、その輪が着実に地域で広がっています。


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