祭り(14)
またまた・・・こんなビールを発見しましたので
■新潟県・村上大祭 県下三大祭の一つにも数えられる村上大祭は、城下町村上ならではの勇壮にして華麗な祭り。江戸時代の初期、寛永10年(1633)に、藩主堀直竒侯が今の地に西奈弥羽黒神社社殿を造営し、臥牛山の元羽黒から御遷宮した時に遷宮祭を執行したのがそもそものおこりとされています。この羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりと伝えられています。
祭日は、江戸時代には旧暦の6月6・7日に行われていましたが、明治以降は新暦の7月6日・7日となりました。祭の行列は、先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎・神旗・神輿3其・各町山車(おしゃぎり)19台と続く行列で構成されています。荒馬14騎は、戦国時代の村上城主本庄繁長が庄内での戦いで勝利をおさめ凱旋した時の様子を模しています。彫刻を施し、村上伝統の堆朱・堆黒の粋をこらしたオシャギリの中には、200年以上前のものもあり、まさに絢爛たる美しさ。この祭りを一目見ようと、多くの観光客も訪れ、町中は祭りの熱気に包まれます。屏風は、7月の村上大祭のときに店先に出して、散らかった店内を客の目に触れないようにするために使われていたらしく、村上大祭は別名屏風まつりと言われていました。
肴町は、シャギリ屋台です。この屋台は、宝暦10年(1760)の製作で、村上の19台の屋台の中でもっとも古いものです。朱漆と金箔を多く使っていて、屋台後方の見送りをはじめ彫刻は「宝尽くし」で彩られたものであり、屋台一階の天井の絵は、おめでたい時に桐の花から鳳凰が生まれるという伝説に因んで桐に鳳凰が彩色されたもので、祭りにかけた町衆の心意気を感じさせます。
乗せ物は、大きな鯛に乗った「恵比須様」で、堀丹後守直矩より肴商いを許された町にふさわしいものです。恵比須様は七福神の一神で商売繁盛を願ったもので、風折り烏帽子に狩り衣の姿をしております。屋台と同じ年に京都で造られました。
惣新町は、シャギリ屋台です。乗せ物は、「花笠」。縦新町、中新町、新田町が合同で大祭に参加しています。子どもたちが多いことから特に大型です。上台の見送りの鯉の滝のぼりは島田亮斎の作品で、躍動する鯉の生気の表現は見事で、彼の作品の中でも傑作の一つとされています。囃子は、太鼓、笛、鉦などを交え、調子は高く、勇壮です。帰りの囃子とモミダシは特に優れているといわれています。
■村上といえば、市内を悠々と流れ日本海に注ぐ「三面川」は、秋ともなれば鮭が銀鱗をおどらせる母なる川。平安の昔から鮭が特産として知られ、世界に誇る鮭文化を築いてきました。民家の軒下には塩引き鮭が干されていました。
ちなみに、村上の鮭は武家社会の影響で、全部お腹を開かずに一部くっつけたままにしたモノがあります。村上地方では古くから「鮭」を「イヨボヤ」と呼んで来ました。和名抄という本に“魚俗にイオと言う”とあるように「イオ」とは魚のことです。当地方では「イオ」から転訛して「イヨ」と言い、「ボヤ」は広く魚をいう方言ですが、この地方では「イヨボヤ」「タイボヤ」など、位の良い魚を言う方言です。
鮭は「魚の中の魚」であるという意味から「イヨボヤ」即ち鮭のことをさす言葉となりました。江戸時代、鮭は村上藩の重要な財源とされ、大切にされてきましたが、この鮭漁を更に盛んにしたのが藩の下級武士「青砥武平治」です。武平治は世界で初めて鮭の回帰性を発見、「種川の制」を考案しました。これは、帰ってきた鮭が安心して産卵できるよう、三面川の本流をバイパスする河川を作り、ふ化を助けようとするもの。言わば「自然ふ化増殖システム」です。まだ誰も鮭の増殖など考えもつかなかった時代に、世界初の自然ふ化増殖を成功させた青砥武平治は、村上の鮭文化に大きな足跡を残した偉人と言えるでしょう。
明治11年には、『人工ふ化増殖』に成功。アメリカの人工ふ化技術を日本ではじめて取り入れ、これに成功しました。日本では、無数の川に鮭が帰ってきますが、村上ほど、鮭を守り、育てようとの思いを持ち、独自の鮭文化を築いた地はありません。村上は、これからも鮭のまち、鮭の故郷であり続けることでしょう。
■瀬波大祭は、西奈弥神社の祭礼。朝、神霊が神輿に移されると祭りの始まりを告げる先太鼓を先達に渡御行列が始まり、これに5台の屋台が続きますが、先頭の浜町屋台には、神社の祭神である気比大神が敦賀から海路、瀬波の地に上陸したことに由来して、気比丸(お船様)がのせられます。屋台は、夜おそくまで町内を練り歩き、人々の唄う祭唄は、勇壮でテンポが速く、漁師町の心意気が感じられます。
■岩船大祭(県指定無形民俗文化財)(10月18日・19日)岩船大祭は、海上の安全、商売繁盛、大漁を願って行われる「船霊祭」で、漁港『岩船』にふさわしい勇壮な祭りです。さすがに漁港の祭りと思わせるのは、各町の屋台9台を従え、先頭を行く『お舟屋台』。石船(いわふね)神社から大鳥居まで下され、屋台に移される「お舟」は、漆(うるし)を何度も重ねて朱色に塗った豪華なもの。人々の唄う木遣節に合わせ、屋台、玉槍、神輿が町中を練り歩くこの祭りは、去りゆく季節を惜しむかのように、夜おそくまで続きます。