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えびかに話(7)

釣りバカ・シリーズ「花のお江戸の釣りバカ日誌」は時代劇スタイルの物語・・・浜崎伝助さんの羽織には「蟹紋」がついていました。


釣りバカ1


本当は「魚紋」をつけたかったのでしょうが・・・残念ながら無いのですよね。


釣りバカ2


■京都府山城町「蟹満寺」 京都と奈良の境に蟹満寺というお寺があります。白鳳年間の7世紀末(680年頃)に渡来人の秦氏が創建。太秦の広隆寺の末寺でもある。本堂の釈迦如来像は白鳳時代の名作。高さ2.6mあまり、重さ7トンの黒光りした端正なブロンズ像で国宝。都から離れたこの地でこの大きさは異例。当時は200m四方の大寺院で、発掘された回廊跡も3町×2.5町あり白鳳時代最大級を誇った。秦氏の権勢が偲ばれる。ここで毎年4月18日に「蟹供養」がおこなわれます。カニの殺生を生業としている罪深い者たちが、この日、日ごろの罪を清めるのです。古今著文集や今昔物語の「蟹の恩返し」のモデルになった寺である。昔、付近に住む娘が食料として捕まえられた蟹を買い取って逃がしてやった。その後、蛇に求愛され襲われたところ、たくさんの蟹が現れ、蛇を退治したという。息絶えた蛇とたくさんの蟹を埋葬し祠を建てたとし、創建の由来になっています。


蟹満寺1


■その昔、綺田に一人の女がいた。女の家は、深く仏を信仰していた。ある日、女が里へ出ると、里人が大勢集まって、池の蟹を数多く獲っていた。何のために蟹を獲るのかと聞くと、煮て食うためだというので、女は、「わが家に味のよい干し魚がありますから、それと蟹を取りかえませんか」と申し出た。里人は大いに喜んだ。女は、蟹をことごとく大池に放して帰った。翌日、女の父が野原で蛇が蛙を呑もうとしているのを見て、思わず口走った。「おい、その蛙を見逃してやれ。そうすれば、わしの娘をお前に与えよう」 すると蛇は、すぐさま呑みかけの蛙を吐いてその場を去った。その夜、どこの者とも知れぬ男が門を叩き、「昼の約束のとおり、やってきた」と言ったので、父親は驚いた。「そのことは、まだ娘に話していない。三日たったらまた来てくれ」なんとか蛇を追い返して、しかたがないので娘に事情を打ち明けた。しかし娘はさして驚く気色なく、そのまま寝間にこもると、仏前に向かって読経した。三日たった。かの蛇が来て、家の戸を尾で叩き破って娘の居る寝間に入った。両親は号泣し、気がふれた者のように叫んで里人に告げた。里人が集まって、皆で寝間に行ってみると、娘は何の変わりもなく静かに座っていた。蛇は死んでいた。数万の蟹が娘の救援に現れて、蛇の全身を鋏で切り刻んだのだった。人々は奇異の思いにうたれ、そこに一寺を建立して、蟹満寺と名づけた。最近、その寺を修復した際、本尊の床の下から数万の蟹の殻と、蛇のうろこが出たという。


蟹満寺2


蟹満寺3


蟹満寺4


蟹満寺5


蟹満寺6

蟹満寺7