ぎょ(160) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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えびかに話(5)

■「伊勢海老」 その名のとおり三重県伊勢志摩地方を代表するグルメの王様です。県内では毎年多くの水揚げがあり、伊勢えびは「三重県のさかな」にも指定されています。その美味しさは云うまでもありませんが、長いヒゲと曲がった腰を持つ姿は長寿のシンボルにも例えられ、たいへん縁起の良い食べ物としても知られています。不思譲なことに日本海側にはいないという。海老はもともと種類が多く、車海老、あま海老、しば海老など、いずれも美味であるが、なんといっても伊勢海老が最上である。伊勢海老を生きたまま塩焼にしたものを鬼殻焼といい、海浜料理では最高とされている。志摩でも、熊野でも、海老は冬季のみ漁を許される。夏季は産卵期であり、捕獲は全国的に禁じられている。波切、紀伊長島などの産地では、冬の朝、決められた時間内にいっせいに港を出航する海老網船の出漁風景が見られる。それは壮観そのものである。海からあげられたばかりの伊勢海老は飴色をしている。光沢を放つその色はいかにも美しい。熊野の浦には美しい活海老の殻の色にまつわるこんな昔話が残されている。


いせえび1

■「昔、山中から世間知らずの百姓男が浦町に出てきた。その百姓男、漁夫が海からあげたばかりの伊勢海老の大きさ、美味そうな色艶におどろき、すすめられるままに買って山ヘかえった。湯でむし上げるとその艶やかな飴色が、毒々しい朱の色にかわってしまった。百姓おどろいて、これはだまされたとその海老をもって、浦の町にとってかえした。色がわりしたと、文句をつける百姓に、おどろいた漁師が、湯上げすれば色がかわるのはタコにエビと、説明し、やっと納得してもらった。その百姓、帰りがけに真面目な顔をしていったという。よくわかった。はじめの飴色が下塗りで、この朱色が本塗りだったのか・・・と」


いせえび2

■イセエビ類は、古くから日本各地で食用とされており、イセエビは鎌倉蝦、具足海老(ぐそくえび)などとも呼ばれていた。733年の『出雲国風土記』には嶋根群や秋鹿群の雑物の中に「縞蝦」の記述が見られる。「蝦」の種類は確認できないものの911年の『侍中群要』では摂津と近江の二カ国から貢上されており、宮中へも納められていた。1150年頃の『類聚楽雑要抄』などから当時は干物として用いられていたと考えられている。伊勢海老の名称がはじめて記された文献は1566年の『言継卿記』であると考えられている。江戸時代には、井原西鶴が1688年の『日本永代蔵』四「伊勢ゑびの高値」や1692年の『世間胸算用』で、江戸や大阪で諸大名などが初春のご祝儀とするため伊勢海老が極めて高値で商われていた話を書いている。1697年の『本朝食鑑』には「伊勢蝦鎌倉蝦は海蝦の大なるもの也」と記されており、海老が正月飾りに欠かせないものであるとも紹介している。1709年の福岡藩士の貝原益軒が著した『大和本草』にもイセエビの名が登場する。


えびかざり1

■イセエビという名の語源としては、伊勢がイセエビの主産地のひとつとされていたことに加え、磯に多くいることから「イソエビ」からイセエビになったという説がある。また、兜の前頭部に位置する前立(まえだて)にイセエビを模したものがあるように、イセエビが太く長い触角を振り立てる様や姿形が鎧をまとった勇猛果敢な武士を連想させ、「威勢がいい」を意味する縁起物として武家に好まれており、語呂合わせから定着していったとも考えられている。


えびかざり2

■徳島県牟岐町「飾り海老」目良肇さん 正月用の飾りもちに彩りを添える飾りエビ作り職人。最近はプラスチック製品が出回り、本物のエビを使うのは西日本で目良さんだけ。エビは、体長15~18センチで、9月下旬から10月下旬にかけ同町沖で捕れたイセエビを使う。わらでくの字型に縛り固定。約一時間塩ゆでし赤みを出した後、にがり汁を入れた木だるに入れ1~2カ月間漬け込み防腐処理する。足や触覚を竹ひごで補修し、歯ブラシで丁寧に磨いて仕上げる。目良さんは一日約3時間のペースで作業をしていて、12月20日ごろまでに約600個製作。京阪神市場などに出荷する。


えびかざり3

■東京「飾り伊勢海老」若松屋 「伊勢海老」を正月の飾りに用いた慣習はかなり古く、起源はよく分かりません。海老の獲れる漁村では、江戸時代以前から新年を寿ぐ象徴として、伊勢海老と注連縄を組み合わせて、軒先に飾っていたようです。その風習は現在も続いております。漁村での海老飾りは素朴な飾り方ですが、現在のように日本座敷の床の間に飾られるようになったのは、江戸時代になってからのようです。当初は武家の飾りで、床の間に鎧櫃(よろいびつ・鎧を入れる箱)の上に盆を置き、その中に白砂を敷いて飾ったようです。これは武士が合戦で使う具足(鎧のこと)の清めと感謝の意味です。あわせて自身の武運長久を願った意味からでしょう。江戸徳川家の家来である旗本・御家人は、徳川家康が愛用した、羊歯の葉を前立てにした兜を模して、羊歯の葉と伊勢海老を正月の飾りにしたようです。江戸時代中期・井原西鶴の著作「日本永代蔵」に武家の正月の飾りに伊勢海老が使われた事例が載っています。こうした意味から伊勢海老の飾りは「具足飾り」といわれていたのです。現在は、以前の具足飾りを「樽飾り」「御供え飾り」といっております。これは、各武家屋敷を得意先にもっていた出入り商人が、武家の風習をまねて町屋風に行事化したものと考えられます。町人は鎧櫃を持っていないため、その代用として酒樽や鏡餅を用いたのです。御木本真珠創始者の御木本幸吉は、真珠開発研究時代に資金調達のため、飾り用伊勢海老の商売をしたと伝えられています。


えびかざり4