ぎょ(151) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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鱗話(12)

■九谷焼 大聖寺藩初代藩主の前田利治は、領内の九谷村で、鉱山開発中に陶石が発見されたのを契機に、磁器生産を企画。九谷鉱山の開発に従事して、錬金の役を務めていた後藤才次郎を肥前有田に陶業技術修得に遣わした。後藤は帰藩後、九谷の地で窯を築き、田村権左右衛門を指導して、明暦元年(1655)頃に色絵磁器生産を始めた。これが九谷焼生産のはじまりである。その後、この事業は二代藩主利明が引き継いだ。この時期に焼成された作品は「古九谷」と呼ばれ、後の時代の「再興九谷」とは一線を画す。古九谷の色絵技法は、力強い呉須の線描の上に、絵の具を厚く盛り上げるような方法である。色調は紫・緑・黄を主調とし、補色として紺青・赤を使用している。作品は花鳥、山水、風物を題材に豪放な味わいを醸し出しているが、一定の画風というものは存在せず、極めて変化に富んでいる。


九谷焼1

■中でも赤を使わず「塗埋手」の手法で描かれた「青手古九谷」は強烈な印象を与える。古九谷様式と呼ばれる色絵磁器のうち、器面を濃い紫、黄、緑などの上絵で埋めたもの。余白をほとんど残さず、黒の線描を用いて、赤の色彩を使わないので、全体に色調の濃い重厚な仕上がりになっている。大皿が多く、その多くは組物や量産品ではなく一点ものとして作られる。大胆な構図が特徴で、古九谷様式を代表するタイプ。


九谷焼2

■「青粒」 大正時代に広まった技法で、青粒(あおちぶ)と称する細かい緑色の点の盛上げを並べる鮫皮のような手法。粒の大きさ、色、間隔の均一さで技術が要求される。


九谷焼3

青好きの私としては、この「青粒」が九谷焼の中でも最高のお気に入りです。


九谷焼4

触らずとも見ているだけで伝わってくるこの触感・・・


九谷焼5

ゾクゾクしてきます。そして頬ずりしたくなります。