富山県(4)
帰りは高岡駅からサンダーバード、発車時刻まで「高岡銅器」を見て回ることにしました。
高岡の古い町並みで「シャチホコ」を発見、アップにしてみましょう。
銅器の製作は金屋町に行かなければ見れません。
京都の祗園を彷彿とさせる素敵な町並みです。
格子窓に「自在鍵」が美しい・・・
大きなブロンズ作品から小さなグッズまで様々な銅製品が作られています。
高岡大仏は、坂下町極楽寺第十五世等誉上人が大仏建立を誓い、延享2年(1745)、木造金色の仏像を建立したのが始まりである。しかし、その像は文政4年(1821)に焼失、その後、天保12年(1841)に再興されたが、これもまた明治33年(1900)の大火で焼失した。現在の大仏は、篤信家の松木宗左衛門が大仏の再建を発願し、明治40年(1907)に造営事業が着手された。その後、中川原町の荻野宗四郎らの協力により、二十有余年の歳月を経て昭和八年(1933)に全工程を完了、五月に開眼式が行われた。昭和55年(1980)に11m後ろへ下がった現在の場所へ移転・補修された。原型は中野双山、古式鋳造法である焼型重ね吹きの技法で、鋳造から着色に至るすべての工程を高岡の工人・職人達の手で行った記念すべき大作である。昭和33年(1958)に建載された円輪光背には、阿弥陀仏の仏徳を一字で表現するキリークという梵字が頂点に配されており、大円輪の光背がそびえる大仏尊は世に珍しく、奈良・鎌倉の大仏とともに日本三大仏と称されている。
高岡大仏前の商店街では「朝市」が催されます。
その「朝市」の名物が「大仏焼き」です。
子供のころ、誰でも一度は食べた思い出がある“たい焼き”。大人になってもあの甘さが好きで、観光旅行に出かけると、たい焼きを買い求めて食べ歩きながら観光スポットを散策しています。これがまたおいしい。そして、どの街にも必ずたい焼きはあるのです。私は鋳物職人で高岡銅器の製作に携わっています。自分の銅器技術を生かして焼き型を作れば、高岡に来た方もたい焼きを食べるはずだと思いました。そこで、市のシンボルであり鋳物工人の誉れでもある、高岡大仏のデザインを使い、銅器で焼き器を製作することにしました。それにしても、鋳物職人の自分が、たい焼きを焼くことになるとは思いもしませんでした。「高岡朝市」では毎回約二百個の大仏焼きが売れます。二時間余りほとんど焼きっ放しです。新聞各紙でも紹介され、今では朝市名物の一つと自称しています。(定塚康宏さん談)