ぎょ(117) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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富山県(3)

シンポジウムを無事に終え、夜は銘酒「立山」に舌鼓・・・多少飲みすぎてしまいました。

さて、せっかくの富山。まずは「井波彫刻」の見学に行きました。


井波1


「井波木彫の里」入口に七福神のトーテムがありましたので、まずは記念撮影です。


井波2


明徳元年(1390年)本願寺五代綽如上人は、後小松天皇の勅許天皇より命令が下ることにより井波別院を創設したが、いく度か焼失しそのつど再建された。特に江戸時代中期、瑞泉寺本堂再建のおり、本堂彫刻のため、京都本願寺より、御用彫刻師・前川三四郎が派遣され、このとき地元大工・番匠屋九代七左衛門ら四人がこれに参加し、前川三四郎について彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりである。寛政四年(1792年)瑞泉寺勅使門菊の門扉、両脇に彫刻した「獅子の子落とし」は七左衛門の代表作で、狩野派風な図柄で浮き彫りの技法が駆使され、日本彫刻史上の傑作とされている。


井波3


以後、その門流が江戸時代末期頃まで主に神社仏閣彫刻などにその技法を競っていた。明治時代に入ってから寺院欄間に工夫をこらして新しい住宅用の井波欄間の形態が整えられ、特に初代・大島五雲は欄間彫刻の研究に没頭して新生面を開いた。昭和に入ってからも、寺社彫刻は活発で、東本願寺・東京築地本願寺・日光東照宮など全国各地の寺社・仏閣の彫刻を数多く手がけ、それと並行して一般住宅欄間・獅子頭など・置物にも力が注がれた。現在、名工らの子孫によって受け継がれてきた伝統ある「井波彫刻」は時代の流れとともに豪華さを誇った寺社彫刻から民家の室内彫刻へと多くは移り変わっており、なかでも住宅欄間はその主力となっている。昭和22年に井波彫刻協同組合を結成し、昭和50年には通産大臣より伝統工芸品の指定を受けた。そして現在では伝統工芸だけでなく、日展などへの作家活動も盛んである。過去220年にわたって、培われてきた技術の集積がいま伝統となって欄間をはじめ獅子頭・天神様・衝立・パネルなどのなかからうかがえる。


井波4


欄間彫刻でのサカナを見つけたかったのですが・・・


井波5


井波の「波」で思い出したのですが・・・「波の伊八」という有名な欄間彫刻師がいました。


伊八1


『波の伊八』

房州の鴨川市下打墨の出身、江戸時代「波を彫らせたら日本一、右に出るもの無し」といわれ、葛飾北斎の富岳三十六景、神奈川沖之浪裏の構図に使用された。といわれるほどの名人で五代まで続いた。


伊八2

特に初代は当時から一流として知られていた。武志家は「江戸彫工の祖」といわれる、左甚五郎を祖とする嶋村家の弟子筋であったということが最近判明している。


伊八3


波を得意とする伊八だからこそ、このような素晴らしい鯉の欄間彫刻が可能になったのでしょう。


伊八4