ぎょ(112) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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■鴟尾(しび)

唐招提寺金堂の屋根を飾る東西二つの鴟尾。それらは瓦でできています。東の鴟尾は鎌倉時代に作られたものですが、西の鴟尾は創建当時、天平時代のもの。1200年もの間、風雪に耐え、金堂の屋根を守り続けてきました。これほど長く現役を務めた鴟尾は、日本はおろか世界のどこにもありません。鴟尾や鬼瓦をつくる瓦職人を鬼師といいますが、古代の鬼師は、いったいどうやって1200年も長持ちする、奇跡の鴟尾を作ったのでしょうか?この謎は唐招提寺をめぐる大きな謎のひとつとして、関係者の間で長いこと囁かれてきました。


シビ1


鴟尾は、鳶の尻尾のことです。蚩尾とも書きます。蚩は真っ直ぐで短いことですが、龍に9つの子どもがあり、そのひとつが蚩吻という名の酒飲みで、屋根を守るという観念が中国にあったようです。鳶というのも鳥のことではなく、鳶の尾をもった龍が海底に住んでいて、これは嵐や雨をもたらす動物であり、防火のために屋根に載せたといいます。


シビ2

しかし、古代の人々が天神に一番強く願ったのは雨を降らせることではなかったかと思われます。農業生産が社会の基盤だったからです。世界各地で天の神の中心が雷神であるのも、そういう意味が強いからでしょう。建物の最上部に水に類縁のものが置かれるのは、水を呼び込むために違いありません。つまり、旱魃で苦しむことのないよう、わざわざ大きな建物をたててその最上部に龍や水煙を載せるのではないでしょうか。日本のシビは明らかに中国から渡来のもので、埴輪などから検証される限りでは土着のものではないようです。しかも、定着することもなく、平安時代の間に姿を消してしまいました。


シビ3


それがなぜかシャチホコという名で戦国時代後期の城郭に突如、天平の美しい甍に乗っていたものとは似ても似つかない奇怪な面相の怪物となって復活するのです。この天守閣の新しい住人は摩竭魚、つまりインドのマカラであったといわれています。胎臓界曼荼羅を見ると、最上部あたりの左右に一対のマカラが向かい合っています。中央にはキルティムカが描かれ、それにむかってマカラが口からアーチを噴き出しています。キルティムカは「栄光の顔」とも言われ、顔だけの神で、丸いぎょろ目を突出させ、額にはもう一つ別の顔があります。シヴァ神の活動的な部分が外化したものだと言われています。ツィマーHeinrich Zimmerによると、この神には恵み深い面と恐ろしい面とが共存しています。敬虔な人間には守護者であり、それ以外の人にとっては怒りのしるしとなるのです。マカラも基本的に同じ機能の機能の神であり、両者あいまって建物の装飾ともなっていくのですが、元来はそういうものではなく、やはり切実な信仰の対象であったようです。杉浦康平さんによると、キルティムカは太陽の生命力を現しており、マカラの噴出す海水を受けて飲み、無数の蓮華(地上に咲き出る生命力)や真珠・宝石(地上・地下の豊穣の象徴)に換えて再び大地へと吐き下ろしているのだそうです。ここでもまたシャチ(=マカラ)は天の神と交流する象徴であって、決して防火の守りなどではありません。国の豊穣を願うのがその本当の意味のようです。そして太陽の生命力と交流する相手としてのマカラは当然のことながら、魔物などではなく、水を司る神としての資格を備えた存在であったのです。このマカラの像がなぜシャチと呼ばれるのか。シャチ(シャチホコ)とは「海の神」を現す語なのです。シャチを海の神とする東北アジアに広がっている観念を、中世の日本はまだ忘れていなかったのです。