ぎょ(106) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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浮世絵(8)

安政2年(1855) 10月2日の午後10時頃、直下型といわれる大地震が江戸の町を襲った。当時は、地震を引起こすのは地中にいる大鯰であり、平常時は、鹿島大明神が要石でこの大鯰を押さえていると信じられていた。安政2年の大地震が起こった10月は、日本中の神様が出雲大社に集まり自分の社を留守にするため、神のいない月=神無月とも呼ばれる。江戸の人々は、地震の原因について、神無月で鹿島大明神が出雲に出向いたため留守中に鯰が暴れた、と考えたのである。


鯰絵1


安政2年の大地震の直後、鯰を配した「鯰絵」と呼ばれる浮世絵が短期間に大量に出版された。公に認可された出版物ではないものの(認可のしるしである改印が一切見られない)、その種類は400以上といわれ、先を争って制作された様子がわかる。「鯰絵」は、先に記した地震と鯰の俗信を元に描かれたのであるが、様々なモチーフがあり、地震の被害の様子や地震後の世相について記したものも見られる。


鰻絵2


現代に生きる我々には、地震の被害に遭った当時の人々が、「鯰絵」に何を求めたのかは判らない。しかし、そこから何か不思議なエネルギーのようなものを感じる。


鯰絵3


12月に幕府からお咎めを受けるまでの3ヶ月間に、これらは大変な流行になりました。地震の張本人に仕立て上げられたひょうきんな鯰は、絵の中で様々な役目を演じています。例えば、被災者のやり場のない気持ちの腹いせに痛めつけられたり、蒲焼にされて食べられたりしています。一方、震災で財産を失った金持ちに、日ごろの悪徳を戒める役割を担ったりもしています。こうした大きな敵を成敗し、時に鯰の姿を借りて権力者に説教する様子からは、江戸庶民の反骨精神を感じ取ることができます。反骨精神が現実を笑いとばす原動力につながっているのかも知れません。


鯰絵4


また鯰絵には恵比寿や大黒なども描かれています。神無月(10月)におきた安政江戸地震は、地下に潜む鯰をいつもは要石で押えつけている鹿島大明神が、10月には神々が集合するという出雲へ出かけたのが原因だともいわれ、絵には留守をあずかった恵比寿や大黒が、鹿島大明神にかわって躍起になって大鯰を瓢箪で押さえる姿がユーモラスに描がかれたものもあります。このように鯰絵には架空の世界も入り混じり、現実を面白可笑しく捉えていこうとする視点を見ることができます。