神の魚(1)
虫が苦手な人には「紙魚」はちょっと刺激が強すぎたかもしれませんね。そこで・・・「紙」は「神」に通じるということで「神の魚」を口直しにお届けします。
「シャケ」はアイヌ語でカムイチェプ、神(カムイ)の魚(チェプ)という意味です。毎年群をなして川を上るシャケを、アイヌの人々は貴重な食料として大切にしました。最近、北海道の各地で復活しているアシリチェプノミは、シャケを迎え、神に感謝し、豊漁を祈る毎年の儀式です。アイヌ語でシャケを「シペ(Sipe)」と言います。真の魚、という意味です。主食という意味もあります。本当に大切な魚だったことが、これらの呼び名からもわかります。アイヌ民族にとって身の回りのものは全てカムイの国からやってくるとされています。シャケもまた、神の国からやってきたのです。自らもアイヌ民族のひとりであり、北海道大学教授であったアイヌ研究者・知里真志保は、論文「神謡について」のなかでこう語っています。
「アイヌにおいては、獣鳥虫魚介草木日月星辰みな神である。(―というよりも、神々が我々人間の目にふれるときに限り、かりにあのような姿をとって現れる、という考え方である。)」
獣鳥虫魚介草木日月星辰みな神である、という表現はすごいですね。シャケは神の国からやってきて、人間の国で食べものになり、また神の国へ帰っていく。このような精神文化は、北方圏に共通しているもので、たとえばカナダ先住民にも「シャケの国」の伝説があります。日本でもシャケが神になった地域が多くあります。北海道よりはるか南、九州の福岡県嘉穂郡嘉穂町には「鮭神社」があります。地域を流れる遠賀川は鮭の南限の川といわれ、ここにシャケが上った年は豊作になるとされています。境内には「鮭塚」があり、毎年12月13日に献鮭祭が行われています。この地域の人々は、シャケを神の使いと考え、たとえ「サケ缶」でも絶対に食べないそうです。
民俗学者・菅豊の調査によると、シャケがご神体となっている神社は、金色に光るシャケに乗った神を祭神とした京都府舞鶴市の大川神社野々宮社、乾サケの骨をご神体とした鳥取県の乾鮭大明神、石川県珠洲市の辛鮭の宮など9カ所にのぼります。その他にシャケがさまざまな縁起や、儀礼にかかわるケースはたくさんあります。
サケ神たちは、むしろ人間とかかわる<ものがたり>のなかに、生き生きとした姿を登場させます。たとえば「夕鶴」で知られる鶴女房伝説に似た「鮭女房」のものがたり。巨大な幻魚、鮭の王「大助(オースケ)」のものがたりなどです。柳田国男の『遠野物語拾遺』にも、鮭の皮が流れてきたことで変事を察知し、危難を救った話や、神隠しにあった娘の家に一尾の鮭が跳ね込んだことから、娘の化身として以来鮭を食べない家の話などが出てきます。
アイヌのものがたりにも、シャケ神たちは勇躍します。たとえば水を汲みにいった娘(あるいは男の子)が月に連れて行かれたことを、シャケが母親に教える神謡があります。他の魚が教えないのに、鮭は「神の魚と大切にしてくれたから、教えてやろう」というのです。食べものや、生きものをそまつにしている今の私たちは、カムイチェプに「わたしたちをそまつにするから教えないよ」といわれるかもしれませんね。
◆参考資料
知里幸恵『アイヌ神謡集』(岩波文庫)
柳田国男『遠野物語拾遺』(柳田国男全集)
菅豊『修験がつくる民俗史―鮭をめぐる儀礼と信仰―』(吉川弘文館)