職人魂(6)
制作の合い間をぬって、足らなくなった材料を調達に「百均」へ。そしていつものように・・・売場を物色しながらぶらつく。
自転車用品コーナーで釘付けになった。「さ・か・な」が眼の前にあった。
自分のアイデアは間違いなかった。見事に「さかな」に変身したのである。白のペイントマーカーで形を描くつもりであったが、残念ながら銀色しかなく、線描をしたものの何か物足りなく・・・さらに上から細い黒線でも入れようかと思ったが、これまた黒色がなく赤のペイントマーカーで銀線の上をなぞってみた。これが大ヒット。とても素敵な「さかな」になった。眼は「動眼」を貼り付けた。これなら「商品」としても十分通用する。そう思える一品である。
さて、「自転車」にまつわる話・・・私が生まれ育った「平野」には、有名な田川自転車屋がある。変り種自転車づくり職人の第一人者である。関西サイクルスポーツセンターにもその数々があり、実際に乗って楽しむことができる。
もちろん店内にもいろいろな自転車が置かれている。平野の町おこしとして、いろいろな町博物館が設定され、ここは「自転車博物館」ということになっている。現在の店舗は大きな道路に面したところにあるが、私が小さい頃は商店街の中に店があった。もちろん私の自転車も田川の店で買ってもらった???
当時、業務用運搬車が一般的であったため、私たち子どもは軽快なサイクリング車に憧れていた。自転車もまだまだ高価であったため、次男の私はいつも兄の「お古」自転車に乗らざるを得なかった。ある日、兄弟で松原の親戚まで自転車で行くことになったのであるが、兄は軽快なサイクリング車でスイスイと先に行ってしまった。取り残された私には今でいう「ママチャリ」しかなかった。
そんな自転車に乗ることはプライドが許さない。かなりぐずった。泣きわめいた。しかたなく母親は田川自転車屋に私を連れて行き、サイクリング車を借りてくれた。「レンタサイクル」などという言葉すらなかった時代にである。