シュール話(5)
エッシャーの仕事を見ていると「こだわり」というか、とことん「はまって」いるような・・・今の自分に通じるものを感じる。答えを求めるというより、「行くとこまで行こう」という・・・すなわち「生きれる限り生きる」こと。「陸海空」「前後左右」「縦横無尽」に広がるイメージの中で、気の向くまま思いのままに「生きる」そして「つくる」ことを満喫しているように思うえてならない。さらに、「描かずに死ねるか」という追い立てられるような「あせり」や「悲壮感」さえ伝わってくる。
ものの「かたち」を描く。
その形によって「空間」が「図と地」に分割される。「右脳で描く」というベストセラーは、その「地」に注目することによって「図」を客観的に描くことをすすめている。
抽象的な「かたち」を「見立てる」ことによって、具象的な「かたち」へと導く方法は、図工 教育においてよく見られる手法である。
エッシャーは「さかな」を多く描いている。単純でしかも「かたち」のバリエーションが豊かに展開できるという意味で非常に有効である。
はじめは気が付かなかった。単なる「かたち」の遊び程度にしか見ていなかった。「さかな」と「とり」は、「水」と「空」の関係にある。エッシャーの有名な作品には「メビウスの輪」をモチーフにしたものがある。人生でいうと「輪廻転生」のようなものかもしれない。偶然だが、私たち「すくらんぶる」において第3回展の共通アイテムが「蝶」で、続く第4回展は「魚」である。これも「空」と「水」の関係にあるとは不思議なものである。
画像が小さくて見にくいが、「鳥」が「馬」にそして「魚」へと展開している。これはまさしく「空陸海」の「三位一体」である。
「魚」と「船」どちらも「水」つながりであるが、注目すべきは「自然物」と「人工物」の関係ではないかと考えている。エッシャーは「白黒」作品というイメージが強い。しかし、このような「色」について彼はどのようにとらえていたのか?
この作品では「赤青黄」が用いられている。
これは「濃淡」であるが、さらに興味深い作品は・・・
左側の「魚」に注目してもらいたい。「魚」の「裏表」である。魚の裏側を描いた作品は、これが初めてではないだろうか?
最後に・・・かえる友の会関西支部長としては、やっぱり「かえる」の作品を紹介しておきたい。