ぎょ(80) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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シュール話(4)

さて、このようなシュール表現を思春期の美術として活用したわけであるが、生徒たちにどのように影響を与えたのか?

最初の教え子から、突然30年ぶりに届いた手紙がある。

「お元気ですか。大変ご無沙汰しております。私たちにとって先生はお一人なのだけど、覚えて下さっているかなと思いながら・・・ある小学校で学校司書として勤務しています・・・職員名簿を開いてみると先生のお名前を見つけました。本当に懐かしくて嬉しくて、少し恐れ多いですが思い切ってお便りしました。・・・長男が中2、次男が小4、三男が4歳です。・・・子どもが中学でシュールレアリスムを学んできたと聞いた時は本当に懐かしく先生を思い出しています。先生の影響ですね。私は絵も好きで、デッサンやクロッキーに通ったこともありましたが、今は本当に時間がなくて遠ざかっています。美術の楽しさを教えて頂いた先生に感謝です。・・・小学校では暑い中を運動会の練習が毎日続いています。一生懸命がんばる姿は本当にすてきです。その指導にあたっておられる先生方に敬服です。今あらためて、私たちの中学時代は凄まじい毎日だったのだろうと想像します。今さらですが、感謝と敬愛の意を込めてお礼申し上げます。」

このような手紙とともに、大切に保管していたという中学時代の懐かしいプリント類を同封してくれていた。

「シュール」が理屈や理論を越えて、そして30年もの時を越えて教え子と私をつなぐ。

「教師」と「生徒」、「図」と「地」、「右脳」と「左脳」、「空」と「海」など。無駄な「空間」そして「時間」さらに「人間」などどこにもない。

ふと、「エッシャー」が浮かんだ。


エッシャー1