ブリキ話(7)
ぜひとも今日中にお知らせしたいことが・・・10月10日が「体育の日」でなくなったわけですが・・・「眼」の日です。いえいえ、そんなことをお知らせしたいのではなくて・・・実は「缶詰」の日なのです。
明治政府は産業振興のため西洋文明を積極的に導入しましたが、この中に、缶詰の製造もありました。内務省は東京に勧業寮新宿試験場を設置し、1874(明治7)年から缶詰の研究に着手しました。この頃、北海道開拓使は道内の産業として缶詰をとりあげ、事業化することになりました。このため、東京の新宿試験場に導入する予定だった米国で新たに購入した缶詰製造設備一式は、北海道の缶詰工場で使用することに変更するなど、国をあげての事業の一つになった観もありました。北海道開拓使は、1877(明治10)年、札幌市の北、石狩町に、わが国初の缶詰工場、石狩缶詰所を設置し、米国から招いたケプロンの推薦で、技術者U.S.トリートと助手のW.S.スウェットを指導者として、缶詰機械を組立てて据え付け、容器の缶を作り、石狩川で獲れたサケを原料に、缶詰の製造を開始しました。この日が、同年の10月10日です。
最初の缶詰製造は経験のない人達で行われたこともあって決して満足のできる製品ではなかったようです。しかし、間もなく缶詰生産は軌道に乗り、この年、15,970缶のサケ缶詰が製造されました。そして、立派なレーベルが貼られて、国内博覧会への出品や、翌年には輸出も試みられています。この当時、缶詰のことを、管詰と記しています。間もなく、缶詰製造法は全国に伝わり、缶詰工場が設けられ、さまざまな缶詰が製造されはじめられ、輸出も行われています。「缶詰の日」10月10日は、このような歴史の記録をもとに、日本缶詰協会が同会の創立60周年を機に1987(昭和62)年に制定しました。
さらに・・・コンビーフの日は、4月6日なのです。
1875年4月6日アメリカのArthur A. LibbyとWilliam J.Wilsonがコンビーフ缶のあの台形状の缶の形に関する特許を取りました。コンビーフとはcorned beefなのですがこのcornというのはとうもろこしではなく、ここでは塩粒という意味で、元々粒塩をまぶして牛肉を長期保存用にしたものをいいます。昔は冷蔵庫などというものがありませんので、肉は一般にcornedまたはbrined(塩水を染みこませる)して保存していました。(現代のコンビーフはだいたいcornedせずにbrinedしたものが多いらしい)1825年にKensettという人が缶詰の技術を開発するのですが、当時は今のように衛生的な設備の中で食材を詰めるわけではないので、保存期間はさほど長いものではありませんでした。LibbyとWilsonが1875年に特許を取ったこのコンビーフ缶には次の2つの利点がありました。
(1)底が狭い所に広い方から肉を詰めることで、できるだけ隙間なく押し込むことが可能である。従って空気が入り込まないので保存性が良い。
(2)取り出す時は大きい方を開けることで容易に取り出せる。
このためコンビーフ缶はあの形状となり、その優秀さによって130年たった今でもその方式がずっと踏襲されているのです。
ということで、この時期に自作とは言え「缶詰」づくりを実体験している私は幸せ者です。そこで、この記念すべき日に「第2号缶」のラベルを国産第1号缶のラベルをパロって作成いたしました。
まだ缶詰の中身がおっつきませんのでラベルのみの紹介ですが、完成したあかつきにはまた登場しますのでお楽しみに。