ブリキ話(1)
JA「ちょきんぎょ」から「ブリキの金魚」へと話は発展し、そして「ブリキ話」へと進んでまいりました。
■そもそも「ブリキ」とは???
幕末に開港した横浜に、外国人の居留地が作られ、○○番館と呼ばれる煉瓦造りの西洋風建物が数多く建てられました。その頃、煉瓦はまだ日本になかったので、錫をメッキした薄い鉄板の箱に収められて輸入されてきました。建築する大工や職人は、日本人が大半を占めていたとのことです。ある時、英国人の技師が箱に入ったままの煉瓦を指さして「Brick」(ブリック)と言ったのです。日本の職人達はそれを聞き、箱の方を「ブリキ」というモノだと誤解してしまいました。これが広まって、ブリキが日本語(通語)になったということです。明治時代から昭和初期にかけて、ブリキに「錻力」とか「鉄葉」といった漢字が当てられたようです。
薄い鉄板の箱と言えば・・・そりゃ「缶詰」でしょう。
幼少期は「ブリキのおもちゃ」(遊び心)であったわけですが、大人になったら「缶詰」(食い気)になるというわけです。小さい頃の思い出(感触)が缶詰につめこまれているのかもしれません。しかし、最近の子どもは「ブリキのおもちゃ」で遊んだ経験がないわけですから、缶詰にそれほど強い思い入れはないかもしれません。悲しいことです。
さて、「缶詰」と言えば・・・やっぱり「さかな」でしょう。
■ブリキの缶詰
現在見られるようなブリキの缶詰は1810年イギリスでピーター・デュランによって発明され、まもなく缶詰工場が誕生しました。その後、1821年にアメリカヘ渡って缶詰の製造が本格化し、1861年南北戦争が始まってからは、軍用食糧としての缶詰の需要が急に増え、アメリカの缶詰産業は広い国土と豊かな果物や野菜の原料資源に恵まれて、近代的な食品工業として大きく発展しました。
コキコキ(キコキコ?)と、焦る気持ちを抑えながら中身と対面すべく缶切りをくる。缶を開けるまでは中身にはまったく接触できず、開けるにしたがって音・香り・概観・味覚を順に味わえる時限装置的な構成。その過程に生じるなんともいえない楽しさ。そんな、缶詰の持つ魅力。
しかし、最近ではプルトップのついたイージーオープン式ばかりなのでとても残念です。簡単さや安全面からは仕方ないことですが・・・便利さだけを追求したくないものです。
とは言うものの、そのコキコキ感をくつがえされた大きな出来事がありました。それは、オイルサーデンとの出会いです。中学校の頃だったでしょうか。それまで「缶切り」が必需品だったのですが、その缶詰は四角い上に不思議な「鍵」のようなものがついていました。その鍵の溝に缶の端っこを差し込んで、クルクルと巻き上げていくのです。ポチッと飛び出している缶のツメは「ノッチ」と呼ぶそうです。オイルサーデンは上蓋全体が巻き取られますが、コンビーフの場合は缶の周囲に刻まれたスコアを巻き切りながら開封する方式で、スパイラル式と呼ばれています。