私の蝶書(81) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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二上山が近くにあるから「蝶」が・・・というのでは説得力がありません。

何か深い理由があるはずです。そこで前田家の家紋を調べてみました。

前田家は菅原道真の後裔といわれ、菅原氏を称しています。上野東照宮銅鳥居に「加賀能登越中三國主菅原姓松平犬万代丸」とあり、菅原姓を使用しています。家紋も菅原家の梅鉢を用いていますが、分家筋では変化を付けています。大河ドラマ「利家とまつ」にもよく登場した「梅鉢」紋です。梅の紋は花を写実的に象った「梅花紋」(絵画的)と5つの円を梅の花弁に見立てた紋様の「梅鉢紋」(幾何学的)に分けられます。菅原道真を祭った天神信仰とのかかわりも深く、大宰府天満宮や北野神社などでもこの紋を目にすることができます。紋様としては古く奈良・平安時代からすでに使用されていました。戦国時代では、近江、美濃の豪族の使用が多く、美濃斉藤氏は天満宮を深く信仰して、領内各所に天満宮を勧請し、梅鉢紋を用いました。(斉藤氏自体の家紋は撫子(なでしこ)紋です。)臣下のものも、領内の豪族もこぞって梅鉢を使用したといわれています。のちに、斎藤氏(加賀出身)の庶流であった加賀の前田家、信州飯田の堀家なども家紋として使用しました。

残念ながら「蝶」ではなく「梅」紋でした。

そこで「梅紋」を調べてみて驚きました。

予想以上に様々なバリエーションがあり

なんと「蝶」と「梅」を合体させた紋が見つかりました。

梅蝶

さらに・・・斉藤氏を調べますと

帰蝶。道三の娘。母は小見の方。光秀とは従兄妹の関係。政略結婚で、織田信長に嫁ぐ。絶世の美女だが、道三の気性を継ぐ、激しい男まさりの気丈さを持つ。有名な名場面がある。道三が嫁ぐ帰蝶に短刀を与え、「……婿殿がいやになったら、その時はこの短刀で、信長を刺せ……」と命じたところ、濃姫は「この短刀は、……お父上を刺すお刀になるやも知れませぬ」と答えた。気性の激しい信長と濃姫は、当初はぶつかりあったがいつしか深い愛情に結ばれ、お互いなくてはならぬ存在となっていく。生涯、子供は授からなかったが、夫唱婦随、信長にとっては、家臣の誰にもまさる相談相手であった。本能寺の変で、信長の「落ちよ」との命令を無視し、共に生涯を終える。

おもしろいですね。「帰蝶」という名の娘が登場しました。