私は小さい頃から祭りが好きでした。だんじりやふとん太鼓そしておみこし。
おじいちゃんに肩車をしてもらって追いかけたものです。さて、お祭りで蝶が
登場するのがあります。富山県高岡の御車山祭です。
■御車山祭のはじまり
太閤秀吉より拝領した山車を、加賀藩二代藩主前田利長が高岡の職人に手を加えさせ、高岡関神社の祭礼日に曳き廻らせたのがはじまりとされています。高岡の発展とともに継承され、今日では重要有形無形文化財に指定されています。御車山は御所車に鉾を立てた特殊なもので、高岡の金工、漆工、染織等の優れた工芸技術の装飾が車輪や高欄、長押等に活かされています。
■御車山の源流
御車山の中央にそびえる心柱とその先端の鉾留は神が降臨するための目印であり、花傘は祭壇に飾られた花々、そして人形は心柱に降りる神の形代といわれています。古代の日本人は臨時の祭壇(築山)に神を迎えて一年の豊作を祈願しました。御車山は築山に車輪をつけて移動できるようにしたものであり、築山行事から発展したものと考えられています。
(富山県高岡市観光物産課発行「高岡御車山祭」パンフレットより抜粋)
■木舟町の御車山
鉾留:胡蝶、神座:大黒天、幔幕:朱地綴織宝珠模様刺繍、囃子:胡蝶、名工辻丹甫の作といわれる高欄や人形を始め工芸品や車輪・幕押長押等は目をみはります。
■曳山の歌(四)
木舟町の 山のうえに 大黒さまと唐子
ソラ見てみやれ 太鼓に笑顔
蝶もでて舞う 姿じゃないか
※ドンドン チキチン ドンチキチン ドンドン チキチン ドン
どうして蝶なのでしょうか?
■二上山(ふたがみさん)標高274m。富山県の北西部、高岡市の北部に位置し、二上山の主峰は東の峰と西の峰の二つからなり、古来より神の山として崇められてきた。西の峰は、山頂面が平坦になっているが、これは、中世から近世にかけての時代に、山頂を城として活用するために削られたからで、このため城山と呼ばれている。その形が袴の腰当ての形に似ていることから、袴腰とも呼ばれている。二上山塊として、この二上山をはじめ、鉢伏山(210.9m)大師ヶ岳(253.6m)摩頂山(251m)の峰々があり、これらの頂きから立山連峰や能登半島などが一望できる。746年(天平18年)奈良の都から、29才の時に越中の国守として赴任した、万葉の歌人大伴家持は、二上山をこよなく愛し、「玉くしげ 二上山に鳴く鳥の 声の恋しき時は来にけり」と万葉集に歌っている。二上山は、越中平野を一望に見下ろし、国見の山(国中を広く見渡すことのできる山)として、戦略上も重要な山でもあった。二上山の守山城址は、南北朝の頃に山城が築城されたのが始まりと言われている。1585年(天正13年)、佐々成政を破った前田利長が、守山城に入城し、これが前田家の越中統治の始まりとなった。時に利長24歳であった。豊かな自然と歴史・文化を育んできた二上山は、悠久の時を超え、今も高岡市のシンボルとしてそのたおやかな姿を見せている。
これは興味深いことです。大阪にある二上山周辺も昔より蝶の宝庫として
有名であったと言います。この富山県高岡市からも二上山がのぞめると
いうのです。不思議な縁ではありませんか。