二上山の蝶に引き続き昔の蝶について調べてみました。
■平安時代あたりの古典文学に登場する蝶として最も有名なのは、『源氏物語』胡蝶巻です。巻の名称として見える他、紫の上と秋好中宮との贈答歌に
花園の胡蝶をさへや下草に秋まつ虫はうとく見るらん
胡蝶にもさそはれなまし心ありて八重山吹を隔てざりせば
とあります。ここでは「花園の胡蝶」は春の典型的情景として持ち出されていますが、蝶が舞う風景がその前後に描かれているわけではなく、「鳥・蝶に装束きわけたる童べ」として見える蝶の衣裳を着けた、胡蝶楽を舞う童女の姿に触発されたものと思われます。
■平安以前の文献として『万葉集』をひも解いてみると、歌の中に「蝶」は一例も歌われていません。厳密に言えば、所謂万葉仮名として「蝶」の字が一例だけ出てきます。
朝東風尓 井堤超浪之 世蝶似裳 不相鬼故 瀧毛響動二(万葉2717)
とあるのがそれですが、読みが定かでなく、「染」の誤りと見倣されて「世染」で「よそめ」と読まれるのが通説のようです。即ち誤写扱いになるわけですが、仮にそうでないとしても、意味を伴う表記ではない(表音的役割しかない)文字と見てよさそうです。
ただ、大伴家持の歌の説明に蝶は登場します。
天平十二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴会也。于時、初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封*而迷林。庭舞新蝶、空帰故雁。(以下略。*は「うすもの」と読まれる字ですが、当該の漢字が見つからないので*としました)
これは、太宰帥大伴旅人の家に人々が集まり梅の花の歌を詠んだ、その32首(815~846)が並ぶ前に見える序文です。そしてもう1例も同様の序文の中にあります。蝶という語が存在しなかったわけではないし、当時の人々が関心を持たなかったわけでもない、況や蝶そのものがいなかったわけではないのですが、和歌に見えず、序文にだけ見えるというのも面白いことです。
■大仏殿の8本足の蝶
もともと同じ情報をもっていたはずの遺伝子を持つ細胞が、目になったり、足になったりするのか?その謎を解く特殊な遺伝子ホメオボックス。その発見は、人間の目も昆虫の眼も、同じ遺伝子の働きによって形作られるということを解明した。そのホメオボックスをショウジョウバエの細胞から発見したワルター・ゲーリング教授が、生物学を目指すきっかっけは、父親から贈られた蝶の蛹だったという。教授の父親は軍隊にいる間も、ひまを見つけては蝶の幼虫を育てていたらしい。子供の頃、父親から贈られた箱に入った蛹を、始めは死んでいるのだろうと思い、興味がなかったが、母親から「これは死んでいるのではありません。春になると蝶になるから、大事にしまっておきましょう」と言われ、 屋根裏に隠しておいた。春になって思い出し、箱を開けてみると羽化する最中。それを見たときの感激と不思議さがきっかけで、生物学をめざすことになった。今でも蝶の写真をとり続けているという。東大寺の大仏の足元に銅で造られた四頭の蝶がいる。よく見ると、その脚は八本ある。教授は、たまたま東大寺を訪れて自分で撮ったその蝶の写真を見て、そのことに気づいた。ショウジョウバエの変異体を研究していた教授には、その蝶が変異体ではないかと思ったという。これは明らかに、第一腹部体節が、肢のある胸部体節に転換するホメオティック変異を示している。なんと1000年以上も前に、日本人は発生の謎を解く鍵に迫っていたのだ。