青の伝説(81) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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千葉あやの

《正藍冷染》この染めは“宮城県栗原郡栗駒町に伝わり、日本の他の地方では、見る事の出来ない特別な藍染と言われます。普通に行われている“藍染”は、藍がめの中に入れた藍を人工的に加熱し、常に発酵させる為、一年中藍染が出来るのです。しかし“正藍冷染”は、生の藍の葉を“桶”に仕込み木灰を加え、自然の大気の温度だけで発酵させたもので、加熱はしないので、夏のみの期間限定になります。この方法は奈良時代から行われていたといわれ、定説となっています。明治以前までは、絹の着用が禁止されており、人々は自ら麻を栽培しそれを材料に織り、藍で染めて着用してきました。明治中頃では、この冷染は、村の約30軒ほどで行われていましたが、第2次世界大戦の前には4~5軒と減り、戦後になってからは、千葉あやの氏(故人)という女性のみが守り抜き、昭和30年「重要無形文化財」に指定され、現在では娘さんの千葉よしの氏により引き継がれています。藍染には欠かすことのできない清流に恵まれた栗原地方では、昭和初期まで、伝統的な正藍染の技法が母から娘へと代々伝えられてきました。あやのさんは、昭和五五年に九一歳で亡くなるまでのあいだ、機を織り、藍を染め続けました。あやのさんの意志を継ぎ、よしのさんも、この長い伝統を持つ正藍染の技法を、大切に守り続けています。技法は4月初めに種まきした藍を5月末に1回植え替え、7月中旬に刈り、葉を1枚ずつよく乾燥させ、翌年の4月まで、わら床に寝かせておきます。そして、4月を迎えたらウスでつき、藍玉を作り、木灰と混ぜて桶(こが)に入れておきます。布になる麻は、4月に種をまき、9月に刈り取り、水に浸して表皮を取り、煮沸して繊維を手でもんで細く裂いていきます。乾燥させた後、撚りをかけて糸を作り、高機(たかはた)で織り上げます。染める時は麻布を水で浸してから藍汁の入った桶に20分ほど浸して、空気にさらし、再度浸すという工程を3回繰り返し、染め上げます。一般的には無地染ですが、時には型染も行われます。現代の藍染は、藍瓶を火で温めながら一年を通して染める方法が一般的ですが、正藍染では火を一切使わず、五月から六月の暖かい時期に、自然の温度だけで染水を発酵させ布を染めます。この古来の浸染に通じる技法から、正藍染は日本最古の染色技術といわれているのです。自然の温度だけで染めるため、思うように染まらないこともあり難しいとよしのさんは言います。いちばん染めやすいという麻布も、よしのさんが種から育て、麻糸を紡いで織り上げたもので、全ての工程を終え、布を染め上げるまでに一年半の期間がかかります。

《迫川》栗駒山から流れ出す清流の恵みともいえる正藍染は、文字の貴重な伝統技術です。山の間という意味の「峡(はざま)」から、はさま(迫)という説や、この地方が奈良平安初期の時代までの長い間、ヤマト朝廷と蝦夷(エミシ=北東日本)勢力の挟間、つまり境界線でもあったことから名づけられたといわれています。古くは花山川、輝(照)井川、阿栗川、阿久根川、一迫川と呼ばれていました。栗駒山の南側のふもとには3つの峡谷が開かれています。この峡谷を流れているのが、北側から「三迫川」「二迫川」「(一)迫川」となっています。二迫川と一迫川がまず合流し、そのあとで三迫川と合流し、旧北上川と合流して石巻湾に注いでいます。二迫川上流、荒砥沢ダムからやや下流のあたり、文字小学校の脇を流れています。この地域の伝統文化として、藍染めが有名です。文字の伝統文化である藍染めに、この川はとても重要な役割を果たしています。http://www2.neweb.ne.jp/wc/ilandkan/chibake.html より

千葉あやのさんの藍の品種は「ちぢみあい」という。東北大学生物学教官の中島庸三さんが阿波藍と比較栽培した結果、阿波藍は南方型、文字の藍は北方型であった。この藍を南から持ってきたものとすれば、よほど以前に移入され、次第に順応して北方型に変わったことになり、あるいは上代、栗原地方に拓殖移民が持ってきたのか、平泉の藤原三代の頃になるのか判然とした記録はないそうです。http://www2.neweb.ne.jp/wc/ilandkan/chibake.html より