これまでも「虫」について少しふれてきましたが、こうなったら徹底的に調べてみることにします。
《『漢字百話 虫の部』監修:奥本大三郎 大修館書店より》一般に虫キ=蛇の象形文字で主にマムシを指す。虫虫=2字並ベてコンと読み、昆につらなる。蟲=これが本来の虫字で約1300字ほどある。すでに2000年前、動物は4種に分類されて、1)「羽ある虫は360にして鳳凰これが長なり」と言って、つまり「羽」は鳥の総称。2)「毛ある虫=獣。3)甲ある虫=亀であり、4)鱗ある虫=魚、蛇、竜の事で、5)裸の虫=ミミズと人間。最古の蟲は「トビムシ」で1億3千年前。昆虫では、180万種、哺乳類で5千種、鳥類で9千種もある。虫偏で最も多い字は「蛇」である。「蝶と蛾」の相違点は触覚で先端が膨れていれば蝶、先端が細いのは蛾である。また葉の字で「草冠」を外した字は薄いものを示し「葉、蝶、喋る、鰈(カレイ)、楪(ユズリハ)、渫(サラエル)などがある。カイコの糸は600~1000mの長さがあり、クモの糸は女郎蜘蛛の場合で800mもある。ミミズにしてもサソリにしても数種の漢字がある。
《発音はチュウではなくキという音だった》ところが、かなり早い段階、紀元前の昔から、本来ヘビを表す「虫」の字を、ムシの意味で用いる例が出てきます。ムシを表すならば元来、「蟲」を用いなくてはならないわけですが、やっぱり、「虫」を三つ書くのはめんどくさかったのでしょう。そして現代の日本では、当用漢字が制定された際、ムシのことを表すときには、「蟲」の字の代わりに「虫」の字を用いることが正式に定められるに至りました。
《身体の中にいる80種の虫》仏教、人体の中に存在しているという虫。『正法念処経』の「地獄品之九」に記述されている。これらの虫は身体の中の全ての部分に存在しているとされ、80の虫に対応する80の風がこの虫を殺すのだという。一切の衆生が死のうとするときはこの風が吹いて虫を殺すとされる。なお、『正法念処経』に載っているのは10足りない。悪臭虫その1、悪臭虫その2、胃穿破風、火色作虫、滑虫、河漂虫、眼有鼻虫、家旋身虫、金虫、筋閉虫、黒口虫、骨生虫、堅口虫、五風共未虫、黒虫、黒足虫、齧歯骨虫、赤口虫、針刺虫、針口虫、屎散虫、三節虫、脂嘴虫、蛇虫、舐骨虫、耳行虫、脂遍行虫、抒気虫、習習虫、粥粥虫、塞脹虫、蔵華虫、涎灑虫、涎食虫、増味虫、善味虫、大力作虫、跳虫、腸破虫、築築虫、大諂虫、大食虫、煖行虫、唾冷沫虫、虫母虫、髑髏行虫、頭骨行虫、吐虫、脳虫、必波羅虫、皮作虫、分別見虫、不行虫、糞門熟虫、煩悩与虫、瘡生風、毛虫、無力虫、迷作虫、脈行食虫、無毛虫、蜜割虫、蜜酔虫、夢希望虫、毛生虫、毛光虫、毛食虫、脈動虫、六味希望虫、和集虫。
《ヘビを表す漢字》3つあります。「巳」「蛇」「「虫」です。「巳」は象形文字で頭と体ができかけた赤ちゃんを表します。「巳」は蛇の中でも小さい蛇を表します。もともと「它」と言う字が「ヘビ」を表していました。「它」の字は後に変化して「也」となりました。ある漢字と合わさって蛇の住んでいるところを表す漢字になりました。土と合わさり大地の「地」となりました。蛇は大地に住んでいます。昔の中国の人が自然現象を天と地を貫く虫(ヘビ)と見立てて「虹」となりました。虫偏の字は、ヘビから来ているのです。その昔の中国の人はヘビを虫の仲間と考えていた証です。
《「巳」の意味》巳は、動物の象形文字であります。説文字で申しますと、今まで冬眠をしていた蛇が春になって、ぼつぼつ冬眠生活を終わって地表に這い出す形を表わしている。則ち従来の地中生活・冬眠生活を終わって、新しい地上活動をするということで、従来の因習的生活に終わりを告げるという意味がこの文字であり、その意味で巳(やむ)に等しい。
《蝮(マムシ)》マムシ科の毒蛇の総称。クサリヘビ科の毒蛇。全長約60センチメートルに達する。頭は三角形で、首は細く、尾部は細くて長い。体色はふつう灰褐色の地に暗褐色の輪状の斑紋が並ぶが、俗にアカマムシと呼ばれる赤褐色型もある。毒牙は管牙で、かまれたときには早期に血清注射をすれば死ぬことはまれである。日本各地、中国、朝鮮などに分布。日本本土では唯一の陸生毒蛇。水辺に近い草むらを好み、ネズミ・蛙などを捕食。卵胎生。古くから蝮酒、黒焼きにして薬用される。「蝮」を各国の言葉で調べると、英ヴァイパーviper・独ヴィーパーViper・仏ヴィペールvipère・伊ヴィペラvipera・西ビーボラvibora・羅ウィーペラvipera・露ガデューカ、そして希=ギリシャではエキドナEchidna、εχιδναという。ギリシャ神話では、上半身が女で下半身は蛇の怪物でもある。ポルキュスとケトの子、クリュサオルとカリロエの子、タルタロスあるいはステュクスの子と言われる。居所もペロポネソスやキリキアKilikiaなど、一定しない。百目のアルゴスによって、ペロポネソスで家畜をかすめている時に退治されたともいう。テュポンとの間にオルトロス、ケルベロス、ヒドラ、キマイラを生んだ。オルトロスとの間に、スフィンクス、ネメアのライオンを生んだ。さらに、金毛の羊皮の番をした竜、ヘスペリスの園の黄金の林檎の番をした竜、プロメテウスの肝を食らった鷲など数々の怪物の母。黒海地方のギリシア植民地の伝説では、洞窟に住み、ヘラクレスの馬群を盗んだ。彼が取り返しに来た時に、彼と交わって、アガテュルソスAgathyrsos、ゲローノスGelonos、スキュテスSkythesを生んだ。
《「青蛙堂鬼談」岡本綺堂(1872~1939)》蝮は毒蛇であるから、誰でも恐れるのは当然であるが、しかしここらでは蝮のために命をうしなったとか、不具(かたわ)になったとかいう例は甚だ少ない。むかしから皆その療治法を心得ていて、蝮にかまれたと気が付くとすぐに応急の手当を加えるので、大低は大難が小難ですむらしい。殊に蝮は紺の匂いを嫌うというので、蝮の多そうな山などへはいるときには紺の脚絆(きゃはん)や紺足袋をはいて、樹の枝の杖などを持って行って、見あたり次第にぶち殺してしまうのである。ほかの土地には蝮捕りとか蛇捕りとかいう一種の職業があるそうであるが、ここらにそんな商売はない。蛇を食う者もない。まむし酒を飲む者もない。ただぶち殺して捨てるだけである。著作権終了作品http://f31.aaa.livedoor.jp/~qsan/bunko0640.html より
《聖書「マタイによる福音書」3章7~12》ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」・・・聖書に書かれている「蝮」は、日本の蝮とは違うもののようです。とにかく毒蛇です。毒蛇は嫌われ者です。その嫌われ者の、毒を持っている蛇の子だと言ったのです。
《蛇の本質》イブと言えば蛇に化けた悪魔の誘惑である。ところが、ヤハウェも蛇で象徴される。だから、蛇(ジャ)にも二種類あって、悪魔の方を毒蛇の模様から取ってヨコシマの邪という。蛇は日本古語ではナハムシ(縄虫)だが、エジプト語で蛇のヒエログリフはジャと読む。虫と言う呼び方は地を這うという意味があると思うのだが、まだ結論は出ていない。虫の字はコブラが鎌首を持ち上げた姿の象形文字である。さらに、毒蛇の蝮(マムシ)は魔の虫という意味で、日本式にサタンを表現しているのである。また、ヒエログリフでsataは蛇を意味するから、これに「~の」と言う意味の接尾語nが付くとサタンになる。サタンは左端につながるし、「沙汰の」という意味にもなる。サタンの別名は訴えるものだから、沙汰でもおかしくない。エデンの園で生命の樹に蛇が絡まっている場面があるが、絡まり方にも本当は方向性があったと思う。聖書には3.5という数字が何度も登場する。その本質は、蛇も三回転半が正しい絡まり方なのだと思う。だが、問題はその向きである。左か右か、どちらに巻こうがどうでもいいようだが、絶対神ヤハウェの蛇は左巻き、悪魔サタンの蛇は右巻きが基本である。DNAの二重螺旋は左巻きだし、人間も左回りの方が走りやすい。地球も左回転、銀河系全体も左に回転している。相撲の横綱が張る注連縄(シメナワ)は絶対神の蛇がデザインされたものだともいう。それとは別に、まわしの巻き方が左巻き3.5回転なのである。余程太った人かやせた人を別にすれば、まわしを締めるときは横に3回転、縦に半回転で締め上がる。このときに、巻く方向が左と決まっている。従って、エデンの生命の樹に絡む蛇も、本来は悪魔の右巻きに描かなくてはならない。こういう観察を続けることによって、日本という国に隠されたものが段々と見えるようになってくるのである。さてエデンの園のサタンを毒蛇にたとえてマムシとか邪(ヨコシマ)という。邪は毒牙を持った蛇を意味し、それが牙という文字を内包する理由である。こういう観察から、訝(いぶか)しいも、本当はイブ・カシイであることが見えてくる。なぜならば、イブが毒蛇の誘惑に対して、頭を傾(かし)げて「変だなあ」と思っている状態を指す言葉だからである。イブも、最初から誘惑に乗ったのではなく、それなりに考えてはみたが、最初は純粋なだけで知恵が無かったので、結局は誘惑に負けたのである。言葉の牙と書いて訝しいと読むとは、サタンの言葉が毒蛇の牙にたとえられるからである。(http://www.geocities.jp/sera_apis/ エフライム工房から引用させていただきました)※無断借用についてお詫びいたします。
《斉藤道三》彼は下克上を代表する典型的な人物であり、 狙った獲物は絶対に逃がさないところから“美濃の蝮”と異名をとった。このような者はよく梟雄(きょうゆう)と称される。彼は北条早雲、松永久秀と並び、三大梟雄に挙げられている。そんな彼は裏切り者、成り上がり者の代名詞でもあり、歴史上はあまり良い評価がされていない。斉藤道三は1494年、山城国乙訓郡西岡(現在の京都府長岡京市西岡)に生まれたとされている。父は松波基宗といい、北面の武士(御所の北側の警備)であった。この頃、応仁の乱の影響で京は焼け野原となっており、皇室の財政も非常に圧迫されていた。そんな中、父は幼い頃の道三(峰丸)を寺に預けたという話も残っているが、この峰丸が1520年代には油問屋の奈良屋庄五郎として山城と美濃の間を行き来しているという話もある。
《食用できる蛇》一般的には蝮と縞蛇と言われている。蝮の頭を持って首のところを鎌で皮を円く切り、皮を剥ぎ、ベッコウ飴のように竹串に丸く刺して焼いて醤油をつけて食べるが、異臭が長く口に残る。もう一つは蝮酒にして飲む方法である。これは蝮を捕らえて一升瓶に入れ細い木の枝で栓をし、隙間から水を入れ体を洗い庭木の下の日に当らない所に20日間ほど置いておく。蜥蜴(とかげ)、とくに青い蜥蜴には毒があると考えられており、もし蝮の腹の中に蜥蜴が入っている場合は消化排泄させるためである。その後水で再び洗い木の枝の栓を抜き、素早く漏斗をさし込み25度以上の焼酎を注ぎ込むと蝮は棒状になってやがて死ぬ。そこで篠竹か箸などを使い瓶の底にとぐろを巻いた形に整え、密栓して冷暗所に一年置いて飲むことになる。蛇を主食とする蛇としてキングコブラが知られているが、蛇が蛇を呑み込むさまは考えただけでも気味が悪い。鳥類では蛇喰い鷲がいる。蛇の最大の捕食者は人間である。中国食の蛇料理は多彩を極めている。また蛇を原料とした各種の薬剤や酒は世界中にある。
《「日本の虫と漢字の虫」》虫とは科学的な用語ではありませんから、あいまいな概念のもとに感覚的に使われている単語なのです。ちなみに、虫に相当する英単語は無いらしいのです(近いものではBug、Insect、Wormなどがあるが、いずれも“虫”にはぴったりしない)。古くは“蟲”という字があり、小さくてうごめいている生き物を指していたようで、その当時は、むしろ“虫”の字の方が、ヘビやカメなどを意味していたと書いてある本もあります。「えび」や「かに」も我々日本人は虫とは考えていないようです。ところが、漢字の「虫」は日本人の分類とはだいぶ違っているようなのです。まず、貝類は漢字では「虫」の仲間です。「貝類」というのに、「貝」のつく漢字はどれもこれもお金に関する字なのです。「買」「販」「財」「貨」「貯」「賃」「資」「貿」と並べてみると一目瞭然です。これは昔の人が貝をお金の代わりに使ったからだといわれています。それにしても「貝」のつく字には「貝類」を表す漢字は全く見あたりません。どうやら中国人は魚類以外の水中動物はみんな「虫」に分類していたようなのです。じつは中国人が「虫」と考えていた生き物の範囲はもっと広いようなのです。たとえば、「蛇(へび)」「蝮(まむし)」「蛙(かえる)」「蝦蟇(がま)」は爬虫類、両棲類とはいっても脊椎動物ですがしっかり「虫」がついています。このくらいならにょろにょろ地面を這ったり、じめじめしたところに住んでいますから、「虫」というのもまだわかります。では哺乳動物はどうでしょうか。じつは哺乳動物にも「虫」のつくものがあるのです。一ヶ所に集まる、という意味で使われる「蝟集(いしゅう)」の「蝟」は「はりねずみ」という意味です。どうやら、古代中国人にとってはすべての動物は「虫」だったようです。http://www.shinchosha.co.jp/shoushin/kanji_ichiran/kanji9903.html より