青の伝説(51) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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アズライト原石  

人工ウルトラマリン Ultramarine Blue artificial。組成は、シリカ・アルミナ・ソーダ・硫黄。1806年頃、天然のウルトラマリン(ラピスラズリ)の化学的な組成が明らかになり、1830年には人工ウルトラマリンの製造方法が発明される。硫黄系の顔料なので、鉛白と混ぜたときに黒変するとされていますが、現代の絵具は混色してもまず問題は起こらない。《天然ウルトラマリン》英名:Ultramarine Blue。半貴石ラピスラズリから取り出す貴重な青で、19世紀前半に人工ウルトラマリンが登場するまでは、極めて重要な役割を果たした。ラピスラズリは産地が限られていて、ヨーロッパで使用されたものは、現在のアフガニスタンに産するものだった。海路で運ばれたため「海を越えてくる青」という意味のウルトラマリンの名称で呼ばれた。原石が貴重であったことと、さらに原石を顔料にする技術が複雑であったために最も高価な顔料となり、金と同等かそれ以上の価値があった。ラピスラズリは良質の原石でも青以外に多くの不純物を含み、挽いて水簸しただけでは、鈍い灰色にしかならない。12~13世紀に不純物を除いてウルトラマリンを精製する方法が発達し、その方法が中世以降の写本やメモに登場するようになる。多くの処方は、粉砕した粉末を油や樹脂などのパテで練り、薄めた灰汁の中で揉むと青い顔料だけが出てくるというもの。最初のうちは不純物がパテの中に留まるので、より純粋な青が採れ、次第に質が下がり、最後にウルトラマリン・アッシュが得られる。ウルトラマリン精製法の最も有名な例は、チェンニーニの『絵画論』にあり、日本語訳もされている。ラピスラズリは和名では「青金石」「瑠璃」などと呼ぶ。ウルトラマリン色は「群青」と訳すことが多い。しかし、日本画の岩絵具である「岩群青」はウルトラマリンではなく、アズライト(藍銅鉱)である。ウルトラマリン(ultramarine)という単語の和名が「群青」であるため、誤解しやすい。辞書で「群青」を引くと、「本来はラピスラズリの粉末であるが、現在は合成顔料・・・」という説明がされているが、これを岩絵具に当てはめると間違いを起こす。ラピスラズリは交易によって古くから世界中に広まり、正倉院にもラピスラズリをはめ込んだ装飾品がある。しかし、日本ではアズライトの鉱床が豊富で、日本画で重要な役割を果たしてきたのは、ラピスラズリではない。ウルトラマリンは高価であるから、下地に他の安価な青を塗り、その上にウルトラマインを使用することもあった。ウルトラマリンを使用した油絵画家で有名なのがフェルメールで、青にはほとんどウルトラマリンを使用している。時には深みを出すために黒にもウルトラマリンを混ぜたという。多作な画家だったら、あれほどウルトラマリンを使うことはできなかった。それよりもずっと作品点数の多いレンブラントは、赤や黒などの手に入りやすい色を駆使した画風で大成し、ルーベンスはスマルトを使いこなした。19世紀初頭に人工ウルトラマリンが登場し、天然ウルトラマリンはほとんど使われなくなったが、ほんの数十年前までWN社の商品に「真性ウルトラマリン」や「ウルトラマリン・アッシュ」の名があった。天然ウルトラマリン顔料は、今でも専門家画材店で購入できる。日本では俵屋工房で、海外ではクレマー社のHPから購入でき、探せば他にも見つかる。顔料は極めて高価なため、自ら精製する人も多い。原石はそれほど高いものではなく、鉱石を扱う店で手に入る。今現在、おそらく最も多くラピスラズリが集まるのはYahoo!オークション。《プルシャンブルー》プロシア青、Purussian Blue。1704年にベルリンで発明された青で、初期の人工顔料の発明として有名。当時の画家が使える青は限られていた。ウルトラマリンは非常に高価で普段から使えるものではなく、アズライトは大きな産地がトルコに占領され、埋蔵量も減り、スマルト青などの不安定な顔料が主流だった。そのような背景でプルシャンブルーは瞬く間に世界中に広まった。当時、ベルリンの辺りはプロイセン王国があり、プロシアの青ということで「プルシャンブルー」と呼ばれた。量産方法がパリで発明されたので「パリ青」とも言う。短期間のうちに日本にも伝わり、版画にも使える安価で美しい青が登場したことにって、北斎のような風景画が可能となった。しかし、現在は好んで使う人はあまりいない。着色力が多き過ぎるために、混色が難しいのが理由だろう。混色すると少量で他の色を染めてしまうが、慣れれば美しい色を作れる。油絵具では暗く透明な色味で、黒に近いような青に見えるが、白と混ぜると美しい水色になり、空の表現にも使える。乾燥速度、耐久性ともにかなり良い部類に入る。ブルーバイス、ブルーベルディテ英名:Blue Bice, Blue Verditer。人工的に作った銅系の青で、アズライトに近い。天然のアズライトよりも不安定。D.V.Thompson,The Materials and Techniques of Medieval Paintingに特に詳しく触れられている。中世絵画の青というと、ウルトラマリンやアズライトをまず思い浮かべるが、それらは極めて高価であらゆる場面で使えるわけではなかった。同書では、銅による人工の青は、量的には中世において他の青を全て合わせたよりも重要だったと書かれている。やがて、イギリスで確かな製造方法が確立し、Blue biceやBlue Verditerの名で流通し、18~19世紀に盛んに使用された。現在では人工ウルトラマリンをはじめ、耐久性のある青が好きなだけ手に入るので、ほとんど使われることはない。クレマー・ピグメントの商品目録にある。《スマルト》1820年の処方で作られた青いガラスの粉末。19世紀中頃までは、重要な青色顔料とされるが、今日のアルミン酸コバルトブルーが発明されてからは、ほとんど使用されなくなった。古画に使われた青色顔料では、ラピスラズリやアズライト説が多いが、例えば、古い時代の聖母の青い衣装などでは、このスマルト色と思われるものも少なくない。しかし、この顔料を油絵具として使用した場合、まもなく、もしくは経年後に退色するか灰色化する恐れがある。「19世紀ごろまでの画家は、スマルトを好んで使用した。しかし、被覆力も発色も非常に弱く、単に歴史的意義があるのみ」と結ぶ文献が多い。コバルトガラスを粉末にした顔料で欠点が多かったが、ウルトラマリンが高価であること、アズライトの産地がトルコ人の占領下になるなど、青色に不自由していた時代に盛んに使用された。17世紀~18世紀に盛んに使われたが、人工ウルトラマリンが登場してほとんど使われなくなった。日本でも江戸時代に花紺青(はなこんじょう)と呼ばれる同様の顔料が作られ、岩絵具の一部として使われた。スマルトは、現在はクレマーピグメントで購入できる。《アズライト》岩群青、藍銅鉱(らんどうこう)、金青、紺青、白青などとも呼ばれる。英名はAzurite。アズライトも高価な顔料だが、ヨーロッパ(主に東欧)にも鉱床があり、ウルトラマインより使用頻度が高かった。粉砕し、水簸して顔料にする。日本画では今でも現役の顔料だが、西洋絵画では現在はほとんど使われていない。鉱物としては、マラカイト(孔雀石)と同じ鉱床で採れる。アズライトは水分を含むことによって、やがてマラカイトとなる。アズライトとマラカイトが同じ塊に混在する貴石をアズロマラカイト、またはアズアマラカイトと呼ぶ。この場合も、アズライトはやがてマラカイトに変化してゆく。フレスコ画では、画面上のアズライトで描かれた箇所が、長い時間の経過のうちに変質し、孔雀石になった例もあるという。青はニスの黄変の影響を受けやすく、古いニスや油絵の場合は、メディウムの変色のために緑っぽく見える場合がある。アズライトはアルカリに弱いため、フレスコ画で使用する場合は、セッコ技法(フレスコ画の上にテンペラで描く)で彩色されることが多く、その部分が剥離して、下地のフレスコ画だけが残っているケースもある。ヨーロッパ各国にある自然科学博物館では、このような貴石・半貴石のコレクションが観ることができる。日本画材では岩群青にあたり、さまざまな粒子径の顔料がそろっている。日本にはアズライトの鉱床が豊富にあり、岩群青も盛んに使われたが、現在は採り尽くされてしまい、輸入品が中心。現在、天然岩群青の価格は15gで5000円前後。アズライトは細かく砕きすぎると色が薄くなり、着色力も弱くなる。濃い青にしたい場合には、かなり粗めに挽いたものを使う。顔料は天然ウルトラマリンが高価だが、原石の状態ではアズライトの方が高値が付いていることが多い。(「西洋絵画の画材と技法」http://www.cad-red.com/jpn/main.html より)画像はアズライト原石http://angelicstones.com/G-azu-6-11.htm より。