青の伝説(48) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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プルシアン

《プルシアンブルー》

(1)キビ国際大学の下山進教授の分析で、琉米歴史研究会が米国から持ち帰った絵図「琉球国惣絵図(間切集成図)」に青色「プルシアンブルー」が使われていたことが判明した。プルシアンブルーは1704年にドイツの科学者ディースバッハが合成に成功した人工染料。その後十数年は製法が公開されなかったという。記録によると、この染料が日本に輸入されたのは1820年に大坂、1825年の江戸が最も早い時期とされている。「琉球国惣絵図」の高嶺間切(現糸満市)部分に、「南山舊城(きゅうじょう)」と記されていることも確認された。南山は、尚巴志が沖縄本島を統一する15世紀まで南部を支配していたが、王府時代の書には、本拠地は大里か高嶺のいずれかが記載され、長く論争の的となっている。「高嶺」説は、南山最後の王・他魯毎(たるまい)が嘉手志川を金の屏風と換えたとの説話を裏付けるように、同川が糸満市大里に他魯毎の墓も同市内にあることから根強い。また、政治家・蔡温が改修した史書『中山世譜』(蔡温本)も高嶺を本拠地と記していることによる。一方、「大里村」説は、政治家・向象賢(しょうじょうけん)(羽地朝秀)が1650年に著した琉球最初の正史『中山世鑑』や蔡温の父・蔡鐸(さいたく)が漢訳補訂した『中山世譜』などの記載を基にする。今回の発見は、南山の本拠地は「高嶺・南山城」説を主張する研究者らは「高嶺説を補強する有力な手掛かり」と意気込んでいる。(2001.7.24ニュースより)

(2) Prussian Blue:プルシアンブルーは多少緑身がかかったやや暗い青で、大変色が強いためにプルシアンブルーはかなり黒っぽく見えます。[Prussian]という名前は昔のドイツの旧名プロシア[Prussia]に由来しています。ドイツで発明されたためです。プルシアンブルーはとても色が強いので、ほかの色と混ぜるとプルシアンブルーが勝ってしまいます。

(3)近年、プルシアンブルー系の化合物はその磁気的特性によって大きな注目を集めている。これらの磁気的性質を理解する上で構造に関する情報は非常に重要であるが、微粉末か薄膜としてしか得られず、X線回折法を用いることはできない。そこで、これらの物質の中から、Na0.4Co1.3Fe(CN)6・5H2Oを含めて10種類の化合物を選び、Fe, Co K-EDGE XAFSスペクトルをPFで測定した。上記物質は260Kで相転移を起こすが、低温の非磁性相FeII-CoIII(LT) から高温のFeIII-CoII(HT) フェリ磁性相への転移である。この転移は可視光の照射によっても起こり、磁性の光スイッチング現象としても注目されている。まず、Co K-XANESスペクトルは純粋のCoIIとCoIIIからの寄与の和で表すことができ、スペクトル解析からCoIIIの組成比 [CoIII/(CoII+CoIII)] を求めた。CoIIIの割合は30Kで 0.70、296Kで0.34となる。FEK-EXAFSの解析から、相転移の前後でFEの周りには顕著な構造変化がないことがわかった。一方、Co K-EXAFSの解析から,低温相、高温相でCo-N,O 距離に大きな変化があることが明らかになった。この構造変化は.高スピン状態(CoII)から低スピン状態(CoIII)への遷移として解釈することができる。http://www.chem.s.u-tokyo.ac.jp/~ssphys/annual98J.htmlより