青の伝説(47) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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単語は異言語間で必ずしも一対一対応していません。それは日本語と英語の動詞の対応を考えれば明らかです。単語の「意味」は単独でのみ存在するのではなく、複数の単語間の近隣関係の中にもある。それが言語の性格を決めています。従って翻訳は極めて困難な仕事です。正しい翻訳というものはあり得ない。せいぜい「よりましな」翻訳しかできないでしょう。直訳は双方の言語が方言程度の相違なら有意でしょうが、普通は必ず文意を歪曲します。意訳は読者の側に元言語が生じさせている心理的効果を再現しようと試みるものです。しかし実際にはまず不可能でしょう。同じ日本語であっても古代と現代形では異言語と考えた方が良い場合もあります。「梁塵秘抄」から意訳の一例をあげます。

遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動がるれ

銭稲村の中国語訳は、 生来蓋為戯 生来蓋為嬉  聞得児戯嬉 心揺難可己

H.Sato and B.Watsonの英語訳は、For sport and play  I think that we are born.For when I hear  The voice of children at their play.My limbs, even my  Stiff limb, are stirred.となっています。

訳者の意欲はわかります、が「なんとなく違う」という感じを払拭できません。私なら現代日本語で、遊びをするべく生まれつき 男に戯れんと生まれつき ああ、だからこそ 遊ぶ子どもの声聞けば 身はたじろがずにはいられない、と訳します。訳の相違の原因は「我が身」の含意の解釈です。言語の歴史的背景と単語間の関連と隠されている意味の重要性に注目すべきです。

日本語の「あを」には、緑色の、年少の、未熟の、という意味が含まれている英語の「ブルー」には憂鬱、優秀、厳格、猥褻の意味がある。「未熟の」という意味は緑色に含まれる。私は「猥褻」の意味がどうして含まれるのか不思議に思っていましたが、最近それは中国語の青楼(娼家)から来ていることを知り苦笑しました。「優秀」という意味は、むかし貴族には青い血が流れている、と信じられていたからです。青い血の動物が存在することを知っていますか。多くの貝類は血の色素がヘモグロビンではなくヘモシアニンだから微かに青い血です。青色の含意は他色のそれに比べて言語間偏差が大きい。これは前節の科学的傍証に一致します。繊細な日本人が青緑色の、この他色との相違性に気づかない筈がなく、古代の中間という意味の「あを」という言葉を色彩用語に転じさせたのではないか、と思います。日本の風土に最も不偏的な色は青緑である。その彩度に「あを」をあてたのは必然的でしょう。すなわち「青~緑」の総称的な色彩表現に用い、緑、紺、碧、萌黄色などをその具体表現に用いるようになった可能性は高いでしょう。したがって総称表現を使って青田、青葉と表現してなんらおかしくない。それが時代が下るにつれ、総称表現の「青」が現在の青色の具体表現形に転じ、現代日本語の青と緑色に対する混乱の原因を作ったと思います。(講義録からの引用おわり)