《青い目の人形》昭和2年に、アメリカ合衆国から日本の小学校などに贈られた人形のことをいいます。日本が昭和になった頃、アメリカでは「新移民法」が成立して、日米関係が悪化していきました。そうした中で、親日家で、日本に何度か来たこともある宣教師のシドニー・ギューリック氏は、人形を通して日米の親善をはかろうと考えました。日本には「ひな祭り」という習慣があるので、アメリカから人形を贈って一緒に楽しんでもらおう、という計画でした。このギューリック氏の呼びかけにアメリカ各州の人たちが資金を出し合って12,739体の人形を購入しました。それぞれの人形に名前をつけ、手作りの服を着せて、本物そっくりのパスポートを持たせて日本におくりました。当時は「日米親善の象徴」だった人形が、太平洋戦争のころには「敵国の人形」として、かなりの数が処分されてしまいました。現存数は300体にも満たない数です。終戦後、昭和の終わりまでの間に、隠されていた人形たちが発見されるたびに、この「青い目の人形」のことが何度かクローズアップされてきました。平成9年度になって、北海道で新たに発見されたという情報がありましたが、かつての木造校舎が鉄筋コンクリートに改築され尽くしている現在、新たな人形の発見は望めないと思います。埼玉県平和資料館http://homepage3.nifty.com/saitamapeacemuseum/JIGYO/Aoime(arasuji).HTM
《童謡「青い眼の人形」》作詞:野口雨情、作曲:本居長世
青い眼をしたお人形は アメリカ生まれのセルロイド 日本の港へついたとき いっぱいなみだをうかべてた わたしは言葉がわからない 迷子になったらなんとしょう やさしい日本の嬢ちゃんよ なかよくあそんでやっとくれ なかよくあそんでやっとくれ