青の伝説(19) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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貝紫

動物染料で「虫」は「赤」色しか見当たらなかった。そこで「貝」も調べてみた。

古代王朝の色の染料》

紫色は時代、洋の東西を問わず高貴な色として珍重されてきたが、特に権力を象徴する色であった点において特異な存在であったということができる。紫色を重んじる傾向は、聖徳太子の制定した冠位十二階の最上位は紫(深紫)に始まり、藤原氏の平安の世には紫式部の女流文学のテーマとして形を成し、戦国武将の豊臣秀吉、徳川時代の江戸紫にまで引き継がれることになる。外国でもやはり、古代中国やローマ時代には皇帝以外の者が身につけてはならない禁色とされていたし、かのエジプト女王クレオパトラに至っては、あまりに紫を愛好し過ぎて、軍船の帆をすべて貝紫で染め、外国船を圧倒したというとんでもない史実も残されているほど。紫染料が大切にされてきた理由の第一は、その希少性にあり、そのことは先の引用歌に大王(天皇)の占有地に紐で侵入できないように標野(しめの)とされていたことからもわかる。万葉時代にはムラサキ草はそこいらに群生していたかのような説を唱える向きもあるが、やはり当時から希少種で栽培が困難であったに違いない。ちなみに、遠き地中海沿岸のローマやエジプトでは紫草ではなく、貝のパープル腺から得た、いわゆる貝紫(※)による紫染色が行われていた。クレオパトラの帆船のエピソードでは、1グラムの紫染料を得るために、貝(イボニシ貝の仲間)が2000個(?)も必要になるとされ、古代においては、一定量の布を紫で染める事自体がとてつもなく贅沢なことだった。

《古代染色のロマン》

1987年、佐賀県吉野ヶ里遺跡から発見された絹織物片には、わずかに紫の染料が残っており、分析の結果、これが弥生時代の貝紫による染色であることが判明し、大きなニュースになりました。幻の貝紫を現代の染織に生かす稲岡良彦さんの営む貝紫染め紫工房は、伊賀盆地の城下町、三重県上野市にある。http://www2.ocn.ne.jp/~purple7/

《貝紫色素の豊富なアカニシ貝との出会い》

貝紫染めへの第一歩は、まずパープル腺(紫色素)を有するアクキガイ科の巻貝を入手すること。イボニシ、レイシガイの採れる最も手近かな岩磯と云えば、三重県下では志磨半島。ここでは昔から海に潜る海女達が、頭部に被る磯手拭に身の安全の魔除けの呪符として、イボニシの殻を砕いて取り出した貝紫色素を含むパープル腺(鰓下腺さいかせん)を直に手拭に擦りっけ、印などを描く風習がある。幸運なことに学生時代の友人が志摩にいた。「イボニシがあれば貝紫を染められるんや!」、友人に案内された磯の岩場でイボニシを採り、貝殻を割って小さな刃物を使いパープル腺を取り出した瞬間、思わず「これがパープル腺か!」と声をあげた稲岡さん。1日がかりでバケツ一杯にも満たない、押し寄せる波のしぶきのなか、岩場にしがみついての危険な貝採りだった。工房に急いで持ち帰り冷蔵庫の冷凍室に保管して、100~200ヶくらいに分けて金槌で貝殻を割り、小刀で肉質部からパープル腺を剥離させ、ピンセットを使って取り出す作業は、予想を越える労力を費した。イボニシは小粒なために、パープル腺は細く含有の色素も少ない。貝紫染めを体験する鳥羽市の海の博物館が催す実習にも参加はしたが、布に絵の具を塗るような直接法では、貝紫染めを縦横に生かすにはほど遠い。見かねた友人はイボニシより粒の大きなレイシガイを漁師に頼んでくれた。これはパープル腺も太く、還元建ての方法で絹糸が紫色に染まった。その友人から思いがけない電話が掛った。「鳥羽のジヤスコでアカニシを売っている。買って殻を割ってみると、これはパープル腺が太いゾ!タバコのフィルター位ある。」、多少おおげさにしても"持つべきは友"である。我がことのように親身になってくれていた。それは三年前のことである。アカニシを継続して入手できないものかと、上野市内で欧風料理店を営む知人に相談した。話は日をおかずして進展した。「四国で鮮魚店を開いている大学時代の先輩に聞いてみよう。」、鮮魚店の先輩から朗報が返ってきた。アカニシの供給を約束するという返事だった。ここでも人と人の絆が息づいていた。紹介された鮮魚店の所在地は、岡山県児島から瀬戸大橋を渡り、瀬戸内海に面した津々浦々の漁港のなかでも、古城の残る城下町。市内には魚市場があり威勢のいいその鮮魚店には活魚を買いに来る人が後を絶たない。季節によって獲れる魚貝は異なるが、ヒラメ・タイ・アジ・イカ・トラフグ・アナゴ・タコ・アワビ・サザエなどが生け簀や店頭に並んでいる。アカニシは注文のある時に漁師に依頼するとのことだが、この刺身はコリコリと歯ごたえがあって美味である。食用として料理店でも結構使っているが、調理の前にパープル腺は除かれるので、その苦味と臭気を知る人はほとんどない。薬用ではアカニシ汁は腹痛の妙薬とされるし、寺社の縁日の店で売っているウミホホヅキ(ナギナタホホヅキ)は、アカニシが海底に産みつけた卵嚢(らんのう-卵)を塩蔵で保存しておいたものである。ここ城下町の漁港には底曳網と建網漁法の漁船数十艘が見られる。早朝出港して2、30分の沖合いで底曳網を仕掛けると、水深20メートル位までの砂泥底に棲むアカニシが、ほかの魚類と一緒に採れる。そして、魚市場の競にかけられる。紫工房へは生のアカニシ貝に保冷材を添えた発泡スチロール箱の宅急便が届く。注文をすれば数日でアカニシを入手できるようになると、稲岡さんの貝紫染めの実用化は一気に軌道に乗り出した。つづく