《紺》濃く、深く、黒と見紛うほどの、藍で染めた色で、わずかに赤、もしくは紫がかった色をさしている。中国では古くから登場し、孔子の『論語』郷党篇には、「君子は紺しゅう以って飾らず」(紺色や赤茶色は祭服や喪服の色なので、襟や袖口には飾らない)とある。そして、『説文解字』では、「紺、帛の深青にして赤色を揚ぐるものなり」とあって、やや赤味のある藍染布をさしているようである。これは藍甕のなかに布を浸けては乾かすという染めの工程を何度も重ねると自然とやや赤味を帯びてくることがあり、それをあらわしているように思われる。また、先に茜染をしてから藍を染めたものをいうこともあったらしい。日本においては、紺が見えるのは、大化三年(六四七)の七色十三階の冠位の制で、その五番目、青冠に「服(きぬ)の色は並に紺を用ゐる」とあって、この「紺」を「ふかきはなだ」と読ませている。『正倉院文書』にも紺布幕、紺布垣代などが見られる。平安時代の『延喜式』にも、紺色の平絹や、「紺衣」などが記されている。桃山時代から江戸時代にかけて木綿が普及するにしたがって藍染が盛んになり、紺屋が地方の村や町にも出現した。紺屋は藍染めを得意としたものが多かったが、やがて染屋の総称ともなり、「こうや」「こんや」と呼ばれ、その職人を紺掻(こうかき)ともいった。江戸時代に職人や商人の仕事着として紺地の法被を着せることが流行したが、それには背中に商店の屋号や商売を一目であらわす象徴的な紋などを入れたため、紺看板ともいった。祭りの袢纏なども、もっぱら紺地であった。紺から発して、きわめつけのような濃紺を「留紺」といい、黒味のあるものを「鉄紺」、紫がかったものを「茄子紺」などと呼んだ。《縹色》縹色は、藍色より薄く、浅葱色(あさぎ)より濃い色をさす。しかし、古くは藍で染めた色の総称のように用いられたようで、『日本書紀』持統天皇四年(六九〇)の色制では「追の八級には深縹。新の八級には浅縹」、『延喜式』では深縹、中縹、次縹、浅縹に分け漂られて、次のようになっている。「濃縹綾一疋。藍十囲。薪六十斤。……中縹綾一疋。藍七囲。薪九十斤。……浅縹綾一疋。藍一囲。薪卅斤。……」。一般に縹色と呼び習わしているのは、この中縹程度の色調にあたると考えてよい。中国の後漢時代に撰せられた、諸物の名の字義を説いた『釈名』には「縹猶漂。漂浅青色也」と見え、さらに『説文解字』にも「帛の青白色なるものなり」とあって、淡い青色であったようだ。正倉院には、楽器の琵琶を入れてあった袋が伝来し、「縹地大唐花文錦」と呼ばれていて、澄んだ美しい縹色が印象的である。これを見れば、縹色を「くすんだ青」と解説するのが間違いであることを理解していただけると思う。「縹」は「花田」とも記されるが、これは当字である。また「花色」は花田色の略で、初夏に咲く月草(露草)で色を染めたことに由来するとする説もある。《褐色・黒青》黒色に見えるほどの濃い藍色。今日「かっしょく」と呼ぶ、赤茶色とは別である。「かつ」には褐があてられるが、本来は藍を濃くするために「搗(か)てて、(搗(つ)いて)」染めるところからの名前という。「かち」に「勝」の字をあてて勝色とし、縁起を担いで武具の革や布帛を染めたため、「褐色威」とか「褐色の直垂」などの表記が軍記物語によく見られる。播磨国は昔から藍の産地として知られ、その飾磨に産する褐色が古くから「飾磨の褐」と名高く、尊ばれたという。青味の強い褐色を「青褐(あおかち)」という。《浅葱》「浅葱」の文字を考えると葱の嫩葉(わかば)の色になり、緑味をおびた色のようであるが、実際には「水色」よりやや濃い色、蓼藍で染めた薄い藍色をいう。色見本は蓼藍の生葉染。六位の袍(ほう)の色で、『源氏物語』「少女(おとめ)の巻には、元服した夕霧が「浅葱にて殿上にかへりたまふ」のを不満いっぱいに見送る祖父母大宮が描かれている。また『枕草子』には六月の法華八講に参列する公卿たちが「浅浅葱の帷子」などを透き通るように着ているさまが記されている。田舎出の侍が羽裏に浅葱色の木綿を用いていたので無粋な人、野暮な人を当時「浅葱裏」と呼んで揶揄した。《水浅葱》「浅葱色」より薄く、「水色」よりさらに淡い藍色。「甕覗(かめのぞき)」よりわずかに薄い。水浅葱の「水」は、ここでは水のような色というより、染料に水を加えて薄めるという用法があるように、薄さを意味するようだ。薄い色ということで手間がかからない安価な色という発想か、江戸時代には囚人服の色とされ「おやぶんは水浅葱まで着た男」という川柳も詠まれている。『守貞謾稿(もりさだまんこう)』の浅葱色の項には「特に淡きを水浅葱と云ひ、中略して水色とも云ふ。藍染の極淡なり。」《水色》淡い藍色だが「甕覗(かめのぞき)」より濃い。たとえば岐阜県郡上八幡の吉田川や板取川の上流の、透き通るような水の色をあらわす。平安時代から用いられた色名で『夜の寝覚』には「桜襲を、例のさまのおなじ色にはあらで、樺桜の、裏ひとへいと濃きよろしき、いと薄き青きが、又こくうすく水色なるを下にかさねて」、また『栄花物語』には、「色聴されねは、無文、平絹などさまざまなり。・・・・海の摺裳、水の色あざやかになどして」などと見える。桃山時代に編まれた、『日葡(にっぽ)辞書』にも「一種の明るい青色」とある。古来、「浅葱」などとともに夏の衣装に欠かせない色。《甕覗》きわめて淡い藍色、もっとも薄い藍染といえるだろう。この色名のいわれには二説ある。一つは、藍甕(あいがめ)に布をほんのわずかの時間浸けて引き上げた、すなわち、布は藍甕のなかをちょっと覗いただけで出てきてしまったから染まり方も薄い、というもの。もう一つは、甕に張られた水に空の色が映ったような淡い色合だから。こちらは空を写す甕を人が覗き見たもの。どちらにしても、遊び心いっぱいの色名である。「覗き色」ともいわれ、ほんの少し染まって白い布が白でなくなるためか、「白殺し」ともいわれたという。
以上、「色の万華鏡」よりhttp://www.wanogakkou.com/life/00100/00100_005_02.html