螺旋物語(99) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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レオナルドねじ

レオナルドの驚異的な発明心が生み出した発明品の数々を紹介します。

《ベアリング》

「ベアリング」は螺旋歯車により、作業の効率化がはかられ、建築作業は驚くほどの進歩を遂げました。

《自転車》

1965年、スペイン・マドリッドの国立図書館でダ・ヴィンチの遺稿が発見された。すべてあの有名な「鏡文字」すなわち裏返された文字で書かれたものである。これをマドリッド遺稿と呼ぶ。このマドリッド遺稿の裏側に実は自転車のスケッチが描かれていたのだ。学者たちは騒然とした。自転車の原理もダ・ヴィンチがすでに考えていたのかと。というのもダ・ヴィンチはすでにヘリコプターの原理ともみえる螺旋状の羽根を描いていたりするからだ。その遺稿スケッチと思われる自転車は木製。チェーンによる後輪駆動。自転車発達の歴史からいえば、遺稿より370年以上も後代に生まれるはずのものである。このスケッチがダ・ヴィンチのものならば自転車誕生の歴史は大きく塗り替えられることになる。学者が騒然としたわけである。しかしよく見るとそのスケッチはレオナルドにしてはあまりにも稚拙だった。発見当時、欧米はもとより日本のマスコミでも、自転車発明の栄誉は彼のものかと騒がれた。かの天才に自転車発明の栄誉を与えたい気分は英雄待望論として分からなくもないが、その夢は潰えた。しかしそれでもなお、その可能性を探ろうとする研究者は、今も一部に絶えないという。実際に自転車発明は、一般的にはドイツのドライス男爵がその人とされている。彼が1813年に発明した二輪車は1818年にはフランスで特許を取得。その名も「ドライジーネ(Draisine)」と呼ばれた。

《チェーン》

レオナルドのスケッチには、後のチェーンと同じ構造のスケッチをかなり精密に描いていました。これがチェーンの歴史の最初とされています。しかし、その当時チェーンの製造技術がなかったので、この素晴らしい発想も当然実現することができなかったのです。これを実用化したのは、フランス人メデェール・ガイです。1832年に自転車用チェーンの特許をとっていますが、結果的には自転車にではなく、荷物伝達用として用いられました。そして、このチェーンは「ガルチェーン」として現在でも存在しています。

《コンタクトレンズ》

コンタクトレンズの原理を発見したのは、あのレオナルドであるとされています。1508年、ものはどういうふうに見えるかを研究していた彼は、大きな半球状のガラスボウルに水を満たし、その中に顔をつけて外部を見てみました。すると、光の屈折によって、見にくかったものがハッキリ見えることに気づいたのです。これがコンタクトレンズの歴史の始まりとされています。

《原動機》

原動機もレオナルドの考案だと言われています。そのメカニズムには、豊かな発想力と優れた技術力が息づいています。

《ねじ》

起源として考えられているのは諸説ありまして、代表的なものは、巻き貝をヒントにしたという説と、木に巻き付く蔓植物をヒントにしたという説があります。ねじが部品として使われ始めたのは紀元前300年頃、アルキメデスによりねじを利用した螺旋揚水機(ポンプ)が発明されたことが始まりと言われています。締結用のねじとしては15世紀のルネッサンス期にレオナルド・ダ・ヴィンチが機械要素のひとつとしてねじを重要視したことで、ねじを使用した機械を設計しました。産業革命期に入ると大量生産のための工業用機械の発展と製作技術の向上に伴い金属製のねじによる締結が重要な要素となってきました。

16世紀半ばにやっと日本へねじが伝来します。正確にはポルトガル船が種子島に漂着した際に藩主が購入した火縄銃にねじが使われていました。この火縄銃を模造したことが日本のねじ製造のはじまりで、その後、火縄銃が戦国武将達にもてはやされ普及することで、ねじも普及してゆきました。

レオナルドが残したノートの中に、タップ・ダイスによるねじ加工の原理がスケッチされています。このことから考えられるように、金属製のボルト、ナット、小ねじ、木ねじ類は1500年前後に出現しました。これらの締結用ねじは、馬車や荷車などに使われ、フランスのルイ11世(1461~1483)は金属製のねじで組み立てた木製のベッドに寝ました。また、この頃の鎧のあるものは、前方から身体を入れ、胸当てをその上からねじで止めるものでした。レオナルドはまた、ねじ切り施盤のスケッチもノートに残しています。2本の親ねじ、スライトレストと換え歯車まで用意した近代的な構造のものです。