
《投石痕》
画面の右下あたりだったろうか、投石による傷が残っていた。いつ頃のものか調べてみたがわからない。とりあえず、モナリザの変遷を追うことにした。
《制作年》
1499年フランスのルイ12世がミラノを攻略、ここがフランス領になってしまうと、ダビンチはミラノを去りいくつかの都市を経て1503年またフィレンツェに戻りました。『モナリザ』が制作されたのはこの頃で、1503年頃から1505年頃にかけて制作されています。ただしダ・ビンチはこの作品にかなり入れ込んでいて、この後何度も何度もこの絵に修正を加えているようです。この『モナリザ』の制作が一段落した頃、彼はフランスの招きでミラノに移動、ここで晩年のほとんどを過ごすことになります。
《没後》
1513年、彼はローマに赴き,時の教皇の弟である貴族に使えたが、もはや目立つ活動はできない身になっている。中風で左手が不自由になったからである。その頃、ミケランジェロはバチカン宮殿を飾る「天地創造」を描き、ラファエロも傑作「アテネの学堂」を完成させていた。当時の彼について伝記作家のバザーリは数々の奇行と二点の小品の制作を伝えているのみです。モナリザには特別の愛着があったらしく、死の3年前まで手元に置いたようです。そして不遇な晩年の彼をフランスに招き援助したフランソア一世に、愛惜の情尽きないモナリザを譲渡したと言います。
レオナルドが亡くなったのは、1519年5月2日フランスのアンボワーズ近郊クルーでした。
以後、この絵はフランス王家の宝として、フォンテンブローの離宮やベルサイユ宮殿に飾られましたが、後に帝位についた1800年にはナポレオンの寝室に飾られ、1804年以降はナポレオン美術館(後にルーブル美術館と改称)に移したようです。収蔵品目録に驚いたことに「ベールをまとう娼婦」と記されています。
《1911年8月21日モナリザがルーブルから消える》
モナリザは21日の午前8時半以前に盗難されたというのに、翌日の午前9時まで誰もそのことに気づかず、午後に副館長に報告されるまでそのままになっていたのだった。モナリザを盜んだのは、ルーブルに出入りしていたイタリア人のビンチェンゾ・ペルージアという男だが、モナリザがイタリアのホテルの下のトランクの中から発見されるのは、盜まれてから二年後のことだった。フランス当局は、樣々な人に容疑をかけるが、詩人のアポリネールを逮捕し、ピカソも尋問されている。現実にはアポリネールは事件とは何の関係もなかったが、「小像事件」と呼ばれる一連の別事件が、発覚する。短期間であったが、アポリネールの秘書をしていたジェリー・ピエレというベルギー人が、アポリネールの恋人だったマリー・ローランサンに、ルーブルに行って何か持って来ることをほのめかしたことがあったという。ピエレは、古代イベリアの彫刻を二個盗難し、その後それをピカソに売り、ピカソはそれを保管していたというのだ。イベリアの彫刻はルーブルに返されたが、このピエレという男は時々ルーブルから窃盗し、それを売り捌いていたようだということである。
《インク事件》
1956年にはインクをかけられる受難。
《1963年アメリカへ》
《1968年発刊『消えた名画』》
『名画泥棒』ミルトン・エステロウ著。ルーブルは昔から盗難事件に何度も見舞われている。一番、有名なのは、「モナリザの盜難事件」。本書はこの事件を含めて名画泥棒が登場する。盗まれたセザンヌ、クレー、ゴヤ、モリゾ、フェルメール…。美術犯罪史にまつわる人びとの、国家の、悲喜こもごも。芸術家のエピソードと作品鑑賞も贅沢に盛り込まれた、極上のミステリー。朝日新聞社刊「消えた名画」を改題。
《1970年代》
他の絵と同じように特別な陳列はされていなかった。
《1974年4月20日東京国立博物館へ》
東京上野の国立博物館で3週間、展示された。このときの観客数は150万人。
《1980年代》
モナリザの絵だけ上にアクリル板をはめて保護するようになった。
《1990年代》
今までとは比べ物にならないぐらい完全空調装置付の防弾ガラスケースのなかに収めている。
《2004年》
ルーブル美術館はレオナルド・ダビンチが描いた肖像画の名作「モナリザ」の保存状態について、科学的な調査を始めることを明らかにした。フランス公共ラジオが報じた。モナリザは16世紀初めの作品とされ、美術館は「絵が描かれた薄いポプラの板が、以前に認められた以上に変形していることが分かった」と指摘。「来年、モナリザの保管部屋の再改修を始めるが、絵の保存状態に心配な点があるので科学的、技術的に掘り下げた調査を行う」としている。フランス美術館研究・改修センターが、絵の板の材質を詳しく分析し、さまざまな気候変化の中でどの程度傷んだのかを評価するという。美術館側は、調査は一般公開を続けながら行うとしている。
《「モナリザの間」オープンへ》
2005年、レオナルド・ダビンチの名画「モナリザ」の展示室の改修が近く完成し、4月6日から一般公開すると発表した。2001年までモナリザが置かれていた「国家の間」は、空調が悪く自然光などが古い絵画に悪影響を与えるとして、同年から建築家ロレンゾ・ピケラス氏の手によって改修作業が続けられた。オープンに伴い、モナリザは現在展示されている別の場所から移され、「国家の間」は今後「モナリザの間」と呼ばれるという。状態が「危機的」とされるモナリザだが、この後は理想的な環境で見学客を迎えることになる。