螺旋物語(82) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

もう一人、重要な人物がいます。それは「ヨハネ」です。
《レオナルド「ヨハネ」》画像
レオナルドがヨハネをどう考えていたのかは、やはり作品に強く現れていると考えます。普通洗礼者ヨハネっていうと、髭ぼうぼうで毛皮を纏った荒野の苦行者というイメージが強いのですが、レオナルドのヨハネは若くて綺麗でしかもどこか妖しい雰囲気を漂わせる美青年です。研究者でもこの絵がワイルドの「サロメ」に出てくるのモデルではないかと言っている方がいます。(「サロメと世紀末都市:ワイルドに於ける悪の系譜」堀江珠喜、大阪教育図書1984)、そして珍しくこの絵はサイン入りで、しかもモナリザと一緒に死ぬまで持っていたということから、本人には特別な絵だったのかもしれません
《検証「最後の晩餐」の公平性のために・・・》
レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」でキリストの右手側に描かれている人物は使徒ヨハネではなくマグダラのマリアであるという主張(「コード」下p.13。これは本書第一章に由来する妄想)も根拠が無い。使徒ヨハネは若い男性と考えられており、若い男性を女性的な姿で描くことはレオナルドが他の作品でも行っている手法。聖ペテロの手が「威嚇のしぐさ」をしているというのは、(「コード」下p.20。)イエスから裏切りの予告を聞かされて、それは誰のことか尋ねるようにペテロがヨハネに合図した場面の描写(ヨハネ福音書13:25参照)の誤解。短剣を握った手は、晩餐の後のペテロの行動(ヨハネ福音書18:10参照)を念頭に置いたもの。
《ヨハネ》
ヨハネは人名。ヘブライ語で「主は恵み深い」を意味するヨーハーナーンが元の形とされるが、ギリシア語ではIóannés (イオーアンネース)、ラテン語ではJohannes(ヨハンネス)、日本語ではヨハネと呼ぶ慣例である。この名は英語でJohn(ジョン)、フランス語でJean(ジャン)、ポルトガル語でJoão(ジョアン)、ドイツ語でHans(ハンス)、ロシア語でIvan(イヴァン)、イタリア語でGiovanni (ジョヴァンニ)になるが、いずれも各国のキリスト教徒によって非常に好まれる男子の名である。ヨハネの英語読みは「ジョン」。
《洗礼者ヨハネ》
『ルカによる福音書』ではヨハネの母エリザベトとイエスの母マリアは親戚だったという(ルカ1:36)。ヨハネは天使によってその誕生を予言されている。 『マタイによる福音書』3章によればヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」とする人物であった。改心を呼びかけながら、ヨルダン川で洗礼を授け、多くの支持者を集めた。イエスもヨハネから洗礼を受けている。『ヨハネによる福音書』1:35では、他の福音書でもイエスの最初の弟子とされるシモン・ペトロとアンデレが、以前はヨハネの弟子であったとしている。ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため、捕らえられ、首をはねられて処刑された(マタイ福音書14:1-13)。ヘロデ・アンティパスの家令の妻が首を埋葬した。キリスト教伝承では首はのちに再び発見され、コンスタンティノポリスにもたらされたとされる。 ヨハネの死の顛末は後にオスカー・ワイルドの「サロメ」でも有名となる。(ちなみに聖書には「サロメ」という女性の名前は書かれていない。)なお、洗礼者ヨハネの弟子たちのグループがその後も地中海世界で宣教活動をおこなっていたことが『使徒行伝』19:3から伺われる。キリスト教において、伝統的にヨハネはイエスの先駆者として位置づけられている。このため東方正教会では先駆授洗(Forerunner)の称号をもって呼ぶ。キリストの先駆者として特別の尊崇を受け、カトリック、東方正教会、聖公会などで聖人とされている。伝統的に、誕生、斬首、首の発見のそれぞれが祭日とされる。洗礼名としても好まれ、他のヨハネと区別するため、ジャン=バティスト(フランス語)ととくに呼ぶこともある。また「洗礼者」のみを名前として用いることもある(イタリア語、バティスタなど)。フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』には洗礼者ヨハネへの言及があるが、これをキリスト教徒による加筆と疑う説もある。イスラム教はヨハネをイエス同様、預言者として認めている。イエスとモーセを預言者として認めないマンダ教においては、ヨハネは最後のもっとも偉大な預言者とされる。
《レオナルド「岩窟の聖母」》
この絵では、ヨハネが左側の赤子・キリストが右側の赤子と紹介されています。ダヴィンチの本意は「左側がキリスト」「右側が洗礼者ヨハネ」という話もある。他のダヴィンチの絵、特に宗教的な絵を見た場合、ヨハネは常に「指差している者」であるということ。つまり、神の子を指し示す(導く)役割を果たしている。一番わかりやすいのは、ルーブルにある「洗礼者ヨハネ」。ヨハネの手は天を指している。この天を指すという行為、これはキリストの存在を表していると言われいる。さらに、同じ岩窟の聖母に描かれている天使の絵。これも、左の赤子を指している。これは、同じダヴィンチの「受胎告知」(ウフィッツィ美術館蔵)でも天使がマリアに対して指差している。結局、ダヴィンチからしたら全ての人が同じ、ただ天使やヨハネといった指し示した者が神の子となっただけである、という考え方だったのかもしれない。
《ヨハネの指》
レオナルドは左利きで厳格な菜食主義者でした。死体を解剖したり錬金術師や魔術師と交わりました。彼は日曜日に働き、宮廷滞在中に行われるミサ以外には出席しませんでした。レオナルドが製作に関わり、現存する唯一の彫刻は、フィレンツェの洗礼堂にある洗礼者ヨハネの像です。それは有名な魔術師・錬金術師であるジョバンニ・フランチェスコ・ルスティチと極秘に合作されたものです。レオナルドの最後の絵画は「洗礼者ヨハネ」であり、その中でヨハネは「モナリザ」と同じく微笑しています。そして彼は右手人差し指をまっすぐ上方へ指しています。これはレオナルドの作品が常にヨハネと関連していることを示す記号かもしれません。「マギの礼拝」では、イナゴ豆の木(ヨハネの木であり、犠牲の血の象徴)の根の側に立っている男がこのしぐさをしています。有名な「聖アンナ」が主題の下絵では、同じくこのしぐさをして、マリアを非難しています。「最後の晩餐」に描かれた、イエスに近づき非難する弟子もまた同じしぐさをしています。これらはすべて「ヨハネを忘れるな」という意味なのかもしれません。